身体的自由

「三つのコンフォートゾーン」

コンフォートゾーンを抜け出す、コンフォートゾーンに引き戻される。そんな話を聞いたことはないでしょうか。理解すればそんなものかとこれまでの経験を簡単に覆すことと出来るので、このことについて書きたいと思います。

コンフォートゾーンとは、快適な空間のことをいいます。

今いる場所から変革を起こそうとするとき、これまでのコンフォートゾーンにいては何も変わりません。

今の今まで普通に暮らせていて、何不自由なく生きてこられた。

だから

これからもなにも変化せずこのままでいい。

ということが快適である、と。

言い方を変えれば、

身体も精神も変化を望んではいないようにも聞こえます。

純粋に立つを行うということは、贅沢なことだという意見をいただいたことがあります。

確かに、

立つ時間は自分を見つめる時間。

そして

変化する身体の発見を楽しむ時間。

これらは必要最低限の生活送る上で必ずしも必要ではないかもしれません。

それでも、

生きる上で突き抜けるためにはただ立つことをお勧めしたいと思います。

日々の生活に余裕を持ち、日々向上する実感と自信を生み出す。

誰も出来ないことを会得するには、誰も行なっていないことをするに限るからです。

そして、

そこで得たものは立っている人にしか分からない世界が確かにあります。

まずはそれを信じてもらうしかありません。

それには大きく三つのコンフォートゾーンを抜け出す必要があると考えます。

まず一つ目は、

立つということに対して、理由をつけて辞めようとする。立たないというコンフォートゾーンに戻ろうとする働き。

二つ目は、

一つ目のコンフォートゾーンを抜けた先にある、身体の進化に対する以前の動かし方へ戻ろうとする働き。

最後の三つ目は、

二つ目の進化を受け入れた先に、進化し続けるということに対して速効性の効果のみ追い求め継続しないというコンフォートゾーンに戻ろうとする働き。

だいたいこのような三つの山を越えれば、自身の身体にかけがえのないものが

既に宿っていると考えます。

そこまで来れば、

以前のコンフォートゾーンには

決して戻れません。

立つことの先。

気が遠くなるような先がまだまだあるような途方もない世界観です。

贅沢な時間がまだまだ続く。