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プロフィール

はじめまして

姿勢家の立芯と申します。

プロフィールということで、

簡単な自己紹介と僕が歩んできた人生、

そしてこれから何を目指しているかという話をしたいと思います。

皆さんと何一つ変わらないように、僕にも幼少期がありました。

これは後ほど周りの人から聞いて知ったことなのですが、少々特殊なところがありまして

集中すると周りの景色が消える

やりたいことを徹底的にやる

周りと同じことはなるべくしたくない

そんな少年でした。

その中で、少し特異な能力?があったかなと記憶するものがあります。

それは、

物心がつくかつかない程の頃から、

触る感じで人が飛ぶ

木や崖などを登ったり降りたりするときに、何処を通ったら良いか道が見える

ボールが止まって見える時がある

イメージ通りに身体が動く

周りの人の動きが遅く感じる

などなどです。

最初は、たまたま成長が早く身体が大きいからだと思っていました。

なにせ幼稚園ぐらいの頃から、

「全てにおいて加減をしなさい。」

そんな教育方針で育つほどです。

けれども仲良くなる友達などと話せば話すほどに、同じ感覚を持っている人はいないというなんとも不思議な気持ちになったことを今でも覚えています。

プチ自慢になって恐縮ですが、

少年期では野球の試合で3打席連続ホームランや、数年間の学校の授業を通してすべての競技で無敗など今考えるとある意味恐ろしい少年だったような気がします。

ただ本人的にはずっとストレスを抱えていました。

それは常に全力を出せないということです。

普通では誰かと競い合うという楽しみ方が出来ないので、此処では言えないようなハンデを勝手に作ってなんとか良い勝負をする演出をしたりもしていました。

そんな時期が過ぎ、13歳位の頃

その特殊な感覚は、不意に失われることになります。

生活面で変わったことといえば、

当時部活動に入り、身体の自由を制限されたこと。

筋肉をつけるという名目で、筋肉トレーニングを激しく行ったこと。

それにより身体を壊すこととなり、その壊れた部分をさらに筋肉トレーニングで補おうとしたことが挙げられます。

無理にとか強制的にということではありませんでしたが、知識や経験のない中で頼れるものは周りとの兼ね合い、そういうものだと何も疑わない先生やコーチや医療関係者、そして専門書などのアドバイス。

インターネットもまだ普及していない中、今思えばですが狭い世界の中でそれでも上手くなりたいという気持ちの一心で色々と勉強した結果でした。

今でも覚えている強烈な記憶としては、

あれだけ自由だった自身の身体が、思いどおりに全く動かない。

動くこと自体がとてもぎこちないものになっていて、何が正解で何が不正解か何も信じられない。

そんな心境でした。

思った通りに身体が動かない。

「これが大人になることか」

と、少し諦めに似た心境になりつつも、いつか子供の頃のように気持ち良い身体になれば良いなと密かに思い続けていました。

結論から話しますと、この失った感覚は25歳頃まで引きずることになります。

武術が好きでずっと続けていましたが、

身体は大きくなったもののさらに故障し、

20歳の時点で30歳まで身体はもたないと医療従事者に宣告され、絶望に打ちひしがれました。

身体を思い通りに動かせず、

徐々に日々の生活にも支障が出てくる。

昔よく見た超高齢の達人方のようにいつまでも

強く

若々しく

楽しそうな身体は

得られないのだなと

全てを諦める寸前までいきました。

その段階では、その様に生きている本物には出会ったことは一度もなく、あれはお伽話かも知れないと本気で思い始めていました。

何もかもを投げ出して全てを引退しようかと何もせず悩んだ1年間があったのですが、

何もしなければ何もしないで、身体がウズウズしてたまらなくなってきました。

やはり身体を動かすことは大好きな様で

また少しずつその世界に戻っていきました。

そこで、本物に出会うという願いが唐突に叶いました。

「思えば叶う」、この言葉が現実のものとなった瞬間でした。

当時齢60を越えた

本物の武術家との出会い。

全身に電気が走りました。

「あぁ、

この時のために生まれてきたのだ。

今迄諦めないで本当に良かった。」

とてつもない安堵感が訪れたことを、昨日のことのように覚えています。

あとは、この道を歩いていくだけ。

死ぬというゴールがあり、そこが途中だろうとなんだろうとただただ進み続けるだけ。

「はっきりと進みづつける理由が出来た。」

そんな感覚です。

しかし、当時この感覚を共有する仲間がいなかったため、ほとんど一人で稽古をし10年ほどが過ぎました。

そのため、

自身がどの位置にいて、何が出来ているのか何も知りませんでした。

ただ、やればやるほどに少年期のあの感覚が身体の中から甦ってくる。

それだけを楽しんだ10年でした。

ある時、その世界の同窓会的な感じで仲間と会った時自身の身体の変化に気付きました。

それは、強い弱いとかそんな世界ではなく、

力とか体力そして速さとかの世界ではないもの。

見ている世界が違うことに気付き、

一人喜びに打ち震えました。

こうなりたかった自分に、いつの間にか成っていたのです。

その時には、以前には不思議だった技や現象を、身体で体現することが出来るようになったり、身体の自由はより少年期に近付いていました。

ここで立芯の強みについて改めて話したいと思います。

少年期の不思議な感覚は生まれ持ったものに近く自身でも説明のつかない不思議な感覚でした。

しかし一度全てを失ったこと、

そして、

それを10年以上かけて取り戻していった経験を積むことが出来ました。

その過程は決して一瞬の出来事ではなく、

一つ一つ積み上げていったものです。

そのため、

その身体にとって最良になる道筋を、様々な角度から説明出来るという能力が意図せずに身についていました。

出来ないところから、出来るところまで。

この過程をもう一度やり直したことにより、より鮮明に見えるようになりました。

では、

その強みはどこで発揮出来るのか?

それは、

この武術の達人的な身体感覚を

手に入れたい人、

そこまででなくても健康的な身体を得たい人、

技術や体験を人に伝えたい人、

競技や生活に取り入れたい人。

そして姿勢を極めたい人

そんな人に

1から説明出来るという強みです。

欲を言うならば、

およそ生きるという部分の最初の最初にこの感覚をあらゆる人に知っていて欲しい。そう思って活動を始めました。

勘違いをしてもらいたくないのでさらに言うと、

この強みは「技術ではありません」。

一言で表すなら【道】

目指すべき身体の頂上があるとして、

そこに辿り着くための道を発見しました。

それは数々の古来の叡智が詰まった道であり、その入り口は中々に閉ざされているように思います。

その入り口を偶然見つけることが出来ました。

そして、

その道筋を少し進んでみて

やはりこの道は身体的自由の獲得という一つの頂点に続いている道だということを確信しています。

立芯強みは、

その入り口からその先までの道先案内人として、皆さんを安全にしかも楽しみながら案内することが出来ることです。

その道は、

軽装で大丈夫です。

持ち物も特に必要ありません。

今まで得た物を捨てる必要もありません。

やり甲斐という部分で、完全に平坦ではないですが坂道と呼ぶにはどうだかなというくらいなだらかな坂道です。

この強みは強みとしてフルに活用し、本当にやりたいことのみ行うという子供の頃に戻りながら、この頂上へワイワイ楽しみながら仲間と登っていけたらなということが今の夢になります。

一人で進み続ける限りどれだけ登っても孤独でした。

それは僕の望む世界ではありません。

だから、

何も隠すことはありません。

そんなことをしている場合ではない。

本当にそう思います。

僕の強みは二つ。

身体的自由を獲得する道を案内出来ること。

そして、

本気で同じ仲間を増やそうとしていること。

僕を超える人がいれば、僕はその人を追いかけるでしょう。

それもとても楽しい道中だと、本気で思います。

せっかく同じ時代に生まれた人生です。

ぜひ一緒に楽しみましょう!