完璧主義と呼ばれる方に多いことですが、物事に白黒ハッキリつけることを好む傾向があるなと感じます。
イエスかノーか。
曖昧な返事の多い日本人から海外っぽく自身の意思をハッキリと伝える。
そういう意味では白黒つけた方がよい場面も多々ありそうですが、育成という場面においてはそれだけでは済まないと感じることが多いです。
例えば
野球を学ぶ過程で、超一流選手の大谷翔平選手の姿勢や動作を1番初めから追求するとします。
そんな時に最初の時点でそこには到達しないと諦める必要は全くなく、また誰でも到達出来ると楽観視することも違うでしょう。
何が言いたいのかというと、可能性は無限にはありますが何をやってもそこに到達するかというとまた未知数です。
要はそこで何もかも決めつけないということが大切です。
そこで白黒つけようとする決めつけが全ての可能性を摘んでしまうからです。
よく表現として玉虫色というものがありますが、そんなことはこの世界では当たり前の話です。
白黒ハッキリした方が分かりやすく、伝わりやすい側面もありますが本質はそんなものではないことが大半です。
大半の人類が平和を望んで?いると思ってはいても全ての人類が平和に暮らしているかといえばクエスチョンです。
決断はしますが、その結果如何ではまた次の手は普通にありえます。
改善、修正、前言撤回
白黒つけることだけが正義ではない、その反対も然りです。
常に変化し続けること。それこそが全体のバランスをとる視点でも良いと考えます。
立芯《旅する姿勢家》
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