知ってる人は知っている中国武術の基礎の基礎、站椿。身体を練る上で欠かせないものと知りつつも例え辛いところがあることもまた事実(笑)なので、たまにだけお話ししていきたいと思います。
站椿とは?
中国武術の鍛錬のひとつで、ジッと同じ姿勢をとったまま一定時間立ち続けるというものです。
ざっくりではありますが。
その站椿を行うことで、身体がどう変化するのか。またどんなイメージで身体を練り上げていくのかをそのまま書いてみたいと思います。
スポーツや武術などにおいて全く同じ動作を行うとしても、イメージ次第でエネルギーの使い方は大きく変化します。
昔は信じていませんでしたが、知識が増えるだけで強くなったり身体が健康になったりすることは充分に有り得ることを知りました。
站椿を行うとき、何を想いながら行なっているのか。
時には無であり、時には身体の中を覗いてみたり、ただただ自然の移り変わりを眺めていたり、様々です。
そんな中で結果として今迄身体の奥底に眠っていた感覚を発見する体験が多々あり今に至ります。
初期の頃は気功という分野は知識としては知ってはいましたが特に取り入れてはいませんでした。
その後気功を知り、気功とは命そのものであると感じました。
本来人は誰しもが有限の気を持っています。
ただ、使い方によっては赤字にも黒字にもなるものです。
赤字は気のガス欠と言い換えてもよく、黒字はエネルギーが充満しているような
イメージです。
子供は元気。そしてエネルギーが高い。
元の気。
人は元々子供を経て大人になります。
気は有限と書きましたが、それは子供の時と大人の時とで総量が変わるわけではありません。
日々の使い方に差異があるから元気が違うように見えたりします。
簡単に言えば、嫌なことをやっていれば気はすぐに無くなる。
好きなことをやっていれば、気は一切減らない。
站椿を行なっていて、こんな感覚になることがあります。
子供の頃出来ていて、
大人になるにつれて出来なくなっていった身体本来の動き。
それを一つ一つ思い出していく。
そんな感覚。
無駄なものを一つずつ丁寧に削ぎ落としていくようなイメージ。
ここでいう無駄なものとは、
例えば筋力、
例えば身体に合わない動作。
元々身体全てをよく活かしていたものを、成長途上でなまじ筋力がついたことで全身を使うことをサボってしまった結果、全身を活かす動作を忘れてしまった感覚。
それを後天的に、一つ一つ思い出していく。
それが站椿を行う意味の一つ。
気功と同じ、戻る原理。
もっと面白かったことは、戻るといっても子供の頃ぐらいのイメージではあったが気功はまだまだその先があるようです。
赤ちゃんの頃、更には受精卵と精子の頃ぐらいまでも戻るといいます。
その先は【空】。
そのイメージは元々はありませんでした。
そこまで行けば
肉体から全てから解き放たれるのではないかと想像します。
そんなイメージも面白いかもしれません。
なにせ、
站椿を行なっているときの時間は無限にあります。
意識を何処にどう回そうとも、時間が余るときは余る。
そんな時は、還っていくことで必ず何か変化も起きます。
そういえば、
施術を行う上で意識していることが
一つあります。
気功でいうところの外気功と内気功。
自分という我は使用せずに、外の力を借りて施術を行う。
イメージ的には外気功を使用。
そうすることによって、自身の気を吸い取られることがなくなり施術が苦にならなくなった経験があります。
施術者あるあるの一つ。
ある意味元気玉の意識。
そうすれば感謝の気持ちを持って、元気が無限に湧いてくるでしょう。
これも鍛錬の効能の一つ。
内なる世界と外界を繋ぐ
境目を自覚する旅。
こんな風にも感じたりします。
站椿は奥が深く、ゴールは常に見えません。
何処までも潜り続けることが出来る宝物。
早くこのような共通言語を話すことが出来る仲間をこれから増やしていきたいと思います^_^