身体的自由

より自らを純化する

人類達人化計画を推進する身?として自己を高める上で思うことは、まだまだ自分の中身には不純物が混じっているなと切に感じます。その不純物を取り除くことについて話したいと思います。

今の己を構成しているものは何か?と問われれば、

過去全ての経験から得られた全て。と答えます。

そうであるならば、今現在においてするべきことは理想の未来に向けて歩み続けることのみ。

それに尽きます。

それをよく目標は?と聞かれることがあります。

未だ到達していない目指すべき理想は常にあります。

しかし、言語化は今のところ出来ていません。

答えを見つける途中というのか、答え自体がそもそも見つからないものかも知れません。

突き詰めれば突き詰めるほど奥が深くなっていく実感があります。

進んでも進んでも、その理想は遥か遠くに感じるもの。

かといって歩みを止めることは考えられません。

歩み続けることは、純粋に楽しく、まさにライフワーク。

昨日の自分より、

今日の自分。

今日の自分より、

明日の自分が少しでも良くなればいい。

これが嘘偽りのない本心であり、昔かそんな感情で行動していました。

歩み続けるということは、何かを継続している状態を意味する。

やめない限りは終わらない。

終わるときは死を迎えたとき。

そう思っていました。

しかし最近ふと思うことは、

己が死んでも意志が繋がっていけばさらにその続きが続けられるかもという意識が生まれました。

今の己は誰かの続き。

であるならば、いつかはバトンを渡すときが来るかもしれない。

一人で爪を砥ぎ続け時間も大切ですが、その狭い世界からバトンを渡すという世界にまた歩み始めようと思考が変化してきました。

先ずは渡すバトンを言語化し、いつか走り続けなくなるその時まで共に並走していきたいと思います。