健康的自由

会いたい人に会う、行きたいところにいく

社会人になって子供の頃と違って窮屈な思いをしている人はいませんか?僕もそんな一人でした。制約がある中で、それが普通だと思っていた暮らし。今回はそれが普通ではなかった話を書きたいと思います。

組織に属するということは、組織に染まることを意味します。

もちろん憲法に守られているような個人の自由はありますが、些細なことからプライベートに関わるところまで管理されるところが少なからずあります。

それを良しとするかは別として、今生の人生としてやりたい事があるにも関わらず生活のためと称して己を我慢し続けることに意味はあるのでしょうか。

働き始めの最初の方はなんとなく疑問に思う事が多々あったとしても、次第にその感覚が麻痺するようになっていきます。

なぜならばそのような状態を続けることは辛く苦しくなるので、そうならないように心が上手く適応していくからです。

それが長年続くと、本当はどう思っていたかさえ忘れる様になり新人と呼ばれる若い人の姿行動をみて時々思い出すようになっていました。

一つの面白い例としてこんな動画を見ました。

水の入ったコップを腕を伸ばして持ちます。

すぐには疲れもせず、誰でも簡単に出来る動作です。

ですが、この状態を5分10分…1時間と維持してみて下さい。

腕がどうなるかはご想像の通りです。

心でもこの様なことが起きていると聞いてハッとしました。

やりたい事をやれないことは、このように精神を疲弊させているということを気付かされました。

ではどうすれば解決するのか。

心の持ち様だけでは、表面上の解決にすぎません。

根本的に解決するには、会いたい人に会い、行きたいところに行き、やりたい事をやる。それが1番だと考えます。

忍耐や我慢は、その1番欲しいものを得るために必要な行動として使えば良いものです。

決してやりたい事を我慢したりすることではありません。

エネルギーは好きな事をやり続けてこそ無限に湧いてきます。

遊ぶ様に仕事をして、仕事をするように遊ぶ

これを実践してしてみることは人生を豊かに生きる必須事項だと思います。