身体的自由

伝える

ここ最近連続して似たような話題がでた中で心に残ったものがあります。「伝える」ということ。このことについて話したいと思います。

伝えるということは奥が深いと考えます。

言葉を通して相手に伝える。それは歌でも同じことです。

相手に向かって伝えようとすることは伝わる。

逆に言えば、

一人で何気なしに喋ることは相手には届かないということ。

音の大小でもなく、滑舌やテクニックでもない。

どれだけ相手のことを想い、声にそれを響かせるか。

そこには感情が乗ります。

そうしたものは必ず伝播すると思うのです。

そしてこれは、触れるということにも同じことが言えます。

触れようとするときの気持ちは、相手に伝わるもの。

見えない声の世界より触れる分だけより鮮明に伝わります。

不安も喜びもその指先から相手に伝わり、知らず知らずのうちにその人の考えていることまで分かってしまう。

時にその伝わるというとが枷になる場面も少なくはありません。

また武術的なフェイクは、この伝わる力を利用することが多いです。

バレないように無意識に。

種明かしをしなければ、騙されたことすらにも気付かれることはありません。

護るために使う。

楽しむために使う。

用途は選ぶ必要があります。

だから昔は秘伝という隠された技法にもなったのだろうなとしみじみ思います。

触ってるけど触っていない。

強く触れているけど力は抜けている。

前に行こうとしているけれど、身体は後ろに行こうとしている。などなど。

例えば言葉だとこんなイメージ。

言葉も大切ですが、より深い部分は触れて解説すればもっと簡単に伝わると思います。

百聞は一見にしかず

良い言葉です。