Uncategorized

全てが飽和された時代の歩き方

現状の日本において、全体的にいえることは飽和された時代であるということが言えるのではないでしょうか。物が何もない時代には物がある事がある種、幸福の種といえました。テレビ、冷蔵庫、洗濯機が3種の神器?と言われた時代など。では物が溢れている今、我々はどの様なことに幸福を感じるのかじっくりと考察してみたいと思います。

  • モノが飽和した時代
  • 海外との比較
  • 何かが足りない
  • 幸福に生きる方法

飽和の時代

個人的に思うことではありますが、現代の日本ではこと生きる上で足りないものなど何もないような時代ではないかと考えています。

物だけでなく、食事、インフラそれぞれもかなりの高水準で存在しているなと感じます。

それは海外に行けば余計に感じるところでもあります。

もちろん全ての人がではないと思いますが餓死するほど食がなく、住む所も着るものもないという環境はそうはないでしょう。

公助のシステムもしっかりと存在します。

ピンからキリまで差はあるとしても、古代の人類の生活に比べればとても贅沢な部類の暮らしぶりに当たるでしょう。

下手したら過去の王族よりも贅沢をしているとの話もあるくらいです。

そして

ここ数十年だけでも

考えられないくらいの水準の

進化やパラダイムシフトが起こっています。

こうして便利過ぎる世の中に確かになっている筈です。

それならば、

現代人の幸福感は絶頂に増したかというと全力で頷ける人がどれだけいるだろうか疑問があります。

足りているけれど何かが足りない。

常に何かに飢えているような、そんな飢餓感を覚えてはいないでしょうか。

世界の隅々のことはまでは分かりません。この地球上には様々な環境もあるでしょう。

ただ日本においての話ですが、

食べる物はある。

衣服や住居もある。

物もある。

職業選択の自由もある。

その上でこれ以上の絶対必要なものはない。

その前提に立つと、

世の中にありふれた嗜好品は全てにおいて意味などないともとれます。

大切な事は、

それを本心から欲しいと思っているかどうか。

周りからみてどう思われようと、自分が欲しいと思えばそれには価値があります。

震災以降、

物欲はほぼ無くなりました。

しかし、

正確にいえば本心から欲しいと思ったもの以外の誘惑に左右されなくなったとも言えます。

それは物だけに限らず、技術や知恵も含めてのことです。

その欲だけは我慢する事が出来ません(笑)

足るを知るという言葉もありますが、もっともっと知りたい欲には敵わず、そこには感情も乗っかるからです。

自分のステージを上げるモノならば、貪欲にそれを取り込む。

ただそこにあるものは、

好きか

そうでないか。

情報の多さに惑わされず、無駄なものに費やす時間を無くし、自身の信じた道を突き進む。

これも飽和された時代でも幸福に生きる一つの方法ではないかと思います。