伝える手段が多様化してることはとても良いことだと思っています。そして、その伝えるという根本は自分が出来ることは、相手も出来る。これについて話していきたいと思います。
自分が出来ることは、相手も出来る。
最近このことに俄然現実味が帯びてきました。
なぜかというと、例えば僕には何十年も蓄積した武術の経験がありますが、その結果の部分に関しては本気で伝えようとも思えば相手にちゃんと伝わるものだと確信する事柄が多々起きるからです。
以前は、相手に伝えるということはなんて難しいのかとばかり思っていました。
こんな感覚なんだけどなのオンパレード(笑)
確かに言語化も多様性もなく、感覚をそのまま伝えようとしたきた過去。
まぁいつか分かってもらえるかなとそこまで深くは考えていなかったので、今思えば散漫だったのかも知れません。
いや正確に言うと理解してもらうことを半ば諦めていたとも言えます。
長い年月を重ねてきて、その長き年月の先に出来るようになったもの。
だから、同じようにその年月が必要だと信じていた部分もあったと思います。
さもなければあの努力の日々はなんだったのかと思いかねません(笑)
しかしそうではないことが段々と分かってきました。
ある人に習えば10年かかるが、ある人から習えば1日で出来るようになる。
そんなことが現実にはあります。
コツは、
言語化し、
順序立て、
個々に伝わるように様々な方法で説明して理解してもらう。
そうすると、
面白いように相手に伝わるようになります。
要は、
伝えれないときは伝えようとする努力や工夫が足りなかったとも言えるでしょう。
伝わらないときは、伝えるようとする本気度がまだまだ不十分なだけでした。
また
出来ることと、伝えることは違います。
優れた選手が、優れた指導者になるかというとそうでもないところが面白い。
ただ向いている方向が同じなら、出来ることは同じではないかと思っています。
前提として、
同じ人間であるからです。
もちろん個性は人それぞれ。
オーダーメイド感覚で人に伝える。
時代にもよる気はしますが、人が大量に増えていく時代の伝え方と人が減っていく時代の伝え方は違うと考えます。
人数が少なくなるということは、より一人一人丁寧に伝える必要がある時代だと思います。
数あるうちの誰かに伝えればよいでは、全ては伝えきれない。
とはいえ、楽しむということは全時代の共通事項。
伝えることも伝えられることも楽しみ尽くす。
こうやって豊かな人生を歩んでいきたいと思います。