身体にはバランスが崩れたら、元に戻そうとする働きがあります。この現象を全自動反応装置と勝手に呼んでいますが理解すると身体の原理を良く理解することが出来る様になります。このことについて書きたいと思います。
人はバランスが崩れても、体が勝手に反応してバランスを取ってしまいます。
だからむやみやたらには倒れません。
試しにおもちゃのロボットの手を前に出したら前に重心が掛かって簡単に前に倒れてしまうでしょう。
しかし人間は倒れない。
前に重心が出た分、後ろにも重心をかけてバランスをとっているからです。
しかもこの機能は、成長とともに自動的に行うようになる優れものです。
様々な運動においても同じです。
一々考えて動かしていなくても、身体が勝手にバランスをとっていることは周知の事実だと思います。
ですが、こと高度な運動や技術においては、それまでの感覚だけでは追いつかないものです。
例えば正確な反復運動や天才的な身体のこなしが必要となります。
そこには多くの人が立ち止まる大きな壁が存在します。
しかし、
その壁を乗り越えなくとも先に進める方法はあります。
高度な運動を自動的に行うことが出来るようになる方法を一つ挙げるとすると、
それが「立つ」ということ。
立つことの効能として、このような自動的に反応するようということが感じやすい利点があります。
例えば、通常パンチが飛んできた時には技術で受ける又は避けたりします。
それが成長すると、感覚的に危機に対して手が勝手に反応するようなことが起きます。
身体に任せる。
それが可能になる。
なぜそうなるかは言語化することは難しいものです。
ただ、
任せるように動かなければ、気持ちが悪い(笑)心地良くない。不自然。バランスが悪い。等々
そんな感じになってしまうものです。
逆に全て自分の身体にとって
心地良い動きになれば、
それが一番動きやすく力が出る動きになります。
多分これは本来人に備わっていた元々ある機能なのだと思われます。
自動的に、反射的に、動かなければ死に至る時代があったのではないか。
しかし、
便利な世の中になっていく過程でこのような機能を使わなくてもよくなり、感覚が鈍ってしまったのではないかと推測します。
立つだけを継続すると、それまで気にもしていなかった身体の隅々まで内観するようになります。
シンプル過ぎて意識がどうしても内側に向いてしまうのです。
そして、
心地良い立ち方をしていればそれで良し。心地悪い立ち方をしていれば、それを改善しなければ気が済まなくなります。
この感覚を研ぎ澄ませていきつつも、長時間立つとこの感覚すら忘れてしまうようになるもの。
本当の意味で身につく。理解するとでも言えるかもしれません。
そうした時、
身体の良い動きを自動的に選択するようになります。
これは日常の生活をする上で、この上なく便利な機能です。
楽に立つ。
楽に歩く。
楽に荷物の持ち運びをする。
楽に動き回る。
ここで言う楽というのは、
力が弱いということではありません。、
全身が纏まって力を出しているので、内部的には楽ですが、外部的には大きな力が出ていることです。
そこに男女差や、
年齢の差も関係ありません。
これこそ、
理想の「武」
これを活かしたいと思います。