この社会において、自身の思い通りにならないことは無数にあります。国のせいだ、社会のせいだ、教育のせいだと、いくら唱えたところで何も変わらない?ように思えてなりません。書きたいのはそれによった不満ではなく、そうした中で近年増えてきたむしろ希望について書いてみたいと思います。
無駄なハンコ作業が無くならない。
提出物は紙で行う。
テレワークの許可を取る為に出社する。
そんな小さいところから、たまたま見かけた国の最高機関である国会での質疑応答映像から
誰かの書いた紙をそのまま読む時間、聞いてない出席者、それがそのまま流れるテレビ放送。
パッと見た感じ、超高齢者だらけの議員さん達。
人の話を大人しく聞かない、品ないヤジ。
ここまでは一通りの不満でした(笑)
そんな状況、そんな社会を体験してきて、こうすれば良いのにああすれば良いのにということは多々訪れます。
しかし変える側に立たなければ、変えることは難しく更に厳しいことに変えられる側になったとしても派閥争いやしがらみや文化や世間体などに縛られる。
じゃあ選挙で変えろという声もよく聞くところですが、実質的に1人の声が届くことは難しい。
議員さんとコネでもあれば届くかもですが、大人になるとその議員さんにしても大きな流れの一つにしか過ぎないこともよく分かってきました。
そんな閉塞感のある中、近年ある傾向が見られてきたなと思うことがあります。
それは、
力(人徳、経済、社会性)のある個人が、そのような社会に業を煮やしたのか自らの国を創り始めてきたように感じます。
国といえば大きいので街でも村でも構いませんが、自身のコミュニティの中で共存していける環境を整え始めたところが幾つも増えてきたように思います。
共に住む村を作ったり、
病院を作ったり、
あるいは学校のようなものを作ったり。
ワンマンと呼ぶ人もいるかもしれませんが、そこに居たい人だけがいる世界でその価値観が共有されている中で日々成長改善されていく世界。
その世界でそこで住み続けるため払う税金は、サブスクリプション。
そこで集まった資金を持って、この社会に必要なインフラを構築し整備する。
この流れを見ていると、そもそも国の役割などが今では大き過ぎて見えづらくなっているものの、本来はこういう機能を有していたのだろうなと想像することが出来るようになりました。
ただ規模が巨大過ぎて、アリがどれだけ叫ぼうともゾウの耳には声が届かない。
そんな感じがします。
ただその規模がそれなりの街で、しっかりとしたビジョンを持ったリーダーが舵を取ることが出来れば理想は実現出来るということも解ってきました。
不平や不満を言うだけでは何も変わらない。
しかし行動に移した人がいる。
それも1人や2人でない数の人達が、率先して働きかけて動いている。
そんな目まぐるしいほどの輝く世界を覗かせてもらっていると、僕も出来ることがまだまだあるなと希望が増えました。
不満に対して、
傍観するだけでもく、
諦めるのではなく、
抗うのでのもなく、
改善していくだけでもなく、
新しく創り上げる
そんなことが今出来つつ、いやもう既に始まっています。
さらにこれはある共通点があるのですが、中にいる人だけが享受出来るのは当然として、
入ることも出ることも
何もかもが自由で選択出来るということ。
これが本当に素晴らしい。
子供の頃、
法律なんかに縛られたくないと反発したときに、じゃあこの国から出て行けと言われたことは未だに覚えています(笑)
10にも満たない子供がいきなり外国に出ていけるわけがない。ということは従わざるを得ない状況なのかと当時は悲観したものです。
どの様な場所でどの様に生きるかは自分自身で選択する。
その選択肢が増えた上に、気の合う仲間が多い街を見つけては参加して心地良く過ごす。
そしてその上でより自身のやりたい事を創り出すことも出来る。
そんな時代になったのだと痛感するに至りました。
社会の一因としてルールがある事は当然として、そのルールにおいても一つ一つなぜそんなものがないといけないのか自ら問いかけ変えていく感覚を研ぎ澄ませていくことが大切な気がします。
今までこうだったから、これからも永久にこうだというものは存在しません。
それも一つの考え方。
駄目なら改善、良かったら継続。
その位フラットなもの。
今すぐ変えたら、今すぐ良くなるのに。変えない理由を探すより、出来る理由を探しまくった方が楽しい。
個人的には、間もなく自身で全てを決められる世界に生まれ立ちます。
良い面も悪い面も全てひっくるめて、新しい舟での航海が始まります。
理想を現実に落とし込むとどうなるのか?
誰もが健康で、
誰もが笑っていられる環境で、
誰もが大切なモノを護れる強さと智慧を持っている、
先ずはそんな場を創っていきたいと思います。