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努力は報われない

努力とは、ある目的を達成するために、精神的・肉体的に労力を費やすこととあります。そして報われるとは、自分が望む結果を得ることであり、自分が目標に向かって取り組んだ成果が反映されることです。これが報われないことがなぜ起こるのか、それを書きたいと思います。

努力と報われるという言葉の定義の中に、興味深いワードがあります。

「ある目的を達成する為に」「自分が望む結果」この二つです。

そしてこの二つが何よりも大切だと考えます。

なぜならば、目的や結果のために努力をしようとするのは間違いではありません。

しかし、目的や結果について充分な時間と、正確な情報を得ることがとても難しいことも知らなければなりません。

何が正しくて何が間違っているか自身の頭で考えることが必ず必要になります。

よく分からないけど、なんとなく人が言っていることを繰り返し努力する。

そうするとどうなるか?

殆どの人が思っていたのと違うとなってしまうのではないでしょうか。

しかもそれを他責にしてしまう。

僕もそうでした。

知識も経験もない時に、それなりの大人の指導が正しい間違っている判断など誰が出来るでしょうか。

こと運動においては故障を伴い、もがき苦しんだ会見があります。

勉強も同じです。

ただただ点を取るために暗記する。

これが何にどう使われるのかなど答えてもらうこともなく、ただただ言われたままにする。

僕の感覚としては、こんなことを努力と呼ぶのであれば何年経っても変わりません。

多少の点は取れたり、記録は伸びるかも知れませんが人生において特に重要な事だとは思わないです。

点が取れなくても人は救えます。

怪我をしなくても上手くなれます。

努力というものを行う前に、絶対に知ってもらいたい事があります。

それは、目的や結果というものが本当に自身の望んでいるものなのか吟味する事。

その上で方向性を定めて、小さいことから少しずつ始めていく。

途中で軸がズレるところを歩みながら修正していくことにより、とんでもないところまで進む事が出来るようになるでしょう。

もはやそれは努力ではなく、息を吸うように行なっているものになっている筈です。

努力しなければいけないことは、僕の感覚として嫌なことをしているときにそれを続けなければならないときのような言葉に感じることがあります。

本当に好きなことは、努力などしなくてもそれ以上に勝手に時間を割いているもの。

何があろうともしてしまうもの。

その先に結果が勝手に付いてくるような世界だと思います。

今行っている事が本当に好きか、嫌いかを判断する材料として、努力しているか否かを観察してみることもお勧めします。

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