身体的自由

土台作りはとても地味

「基礎、土台、基本」何事を始めるにしても1番大切だと言われつつ、誰もが刻が経つにつれて忘れやすいモノ。この土台作りについて話したいと思います。

どんな世界でも、

どんな道でも、

こんなことを言われることはないでしょうか。

本当はこうした方が良いのだけれども、そうしたらみんな居なくなってしまう、と。

どの分野でも本質を追求するならば、

根気がいるけれども、

辛いかもしれないけれども、

短調かもしれないけれど、

コレが一番いいというものが

一つくらいはあったりするものです。

そして、

その本質をついたモノは、ほとんどの場面で実施されることはないように感じます。

そんなモノがあることすら、伝えようとしないのではとないかとも思います。

それは本当に勿体ない。

何十年と経験を積む、その中で色々と試行錯誤する。

その中では、

やって良かったモノや、

無駄だったモノ、

よく分からなかったもの、

様々な場面があっただろうと推測出来ます。

おそらくは先に話した本質のモノは、その長い年月を凝縮したものです。

本人の思考と経験そして希望が入り混じった、とても短期間では得られない貴重なモノ。

地味ではあるが故に目立たず、人が食いつかないモノ。

そこにこそ光明があると考えます。

誰も行わないということは、唯一無為の結果が出るということ。

人と同じことをしていては、

人と同じになる。

そこを飛び出すためには、影に隠れた本物を続けることがコツだと思います。

土台作りに必要なモノを現時点では3つ持っています。

超が付くほど地味ですが確実に積み上がる実感があるもの。

そして超がつくほど簡単。

その先に確実に会得出来るという保証があるもの。

そんな地味なことをひたすら楽しめる自分が嫌いではありません。