武術を教えるようになって気をつけていることは、武術の行き着く先は人を壊すことに繋がるので相手に怪我をさせないようにする事です。加減をすれば出来るか?というとそういうものでもないのでもう一つの手(治す手)についてお話ししたいと思います。
僕の経歴を簡単にいうと、武術のみの経歴に途中から施術家としての経歴が加わりました。
タイトルにもありました壊す手といえば武術、治す手として施術家としての手のことを指します。
戦うにしても、スポーツなどにしても人や物に「接触する」という行動は避けては通れないものだと考えます。
ただしこの「接触する」という行動一つにとってもとても奥が深く、ただ触るだけ、当たるだけ、掴むだけというような単純な話ではありません。
なぜ同じように接触したように見えても、一流選手が触れると力が入らなくなったり、一流マッサージ師が触れると身体がフワフワになったり不思議だとは思いませんか?
技術といえば技術とも言えますが、何十年の経験があれば誰でもそうなるかといえばピンキリの人を多々見ることからそうでもないことも分かります。
壊す手である武術の手。
こちらは昔でいえば強ければ強いほど憧れるものでありました。
強く重く早くを目指していたことをよく覚えています。
その為に行ったことは、自身の身体を強く重く早く同じように鍛えることによってある程度向上していきました。
力を抜くといえば加減する。そんな感覚ではありましたが相手と協調したり繋がったりする感覚はどちらかといえば皆無だったかと記憶しています。
相手への配慮は心のみ。加減を間違えて怪我をさせてしまったことも正直1度や2度ではありませんでした。
ただ僕が目指していた処は、まろやかな達人でありこの道のりの先にあるものだとは到底思えませんでした。
ただその道への行き方を知らない人。
その道が繋がったのは、素晴らしい施術家との出会いがきっかけでした。
散々壊すことを習い稽古を積む日々から、今度は治す(表現としては改善する、元に戻す、良くするなどと言わなければならない不思議(笑))ことを学び実践する日々。
この道もとても深いもので、のめり込むまで時間は掛かりませんでした。
最初はこの治す手を武術に活かそうなどと考えて実践していたわけではありませんでしたが、両方を同時に会得することで壊すと治すの境目がだんだんと無くなってきました。
最初に戻りますと、接触したときにどちらでも出来るようになったことが1番大きい学びでした。
この頃から、相手を観るということが目で観ること以外にも接触した部分から相手との繋がりを観れるようになってきたと思います。
肩を治すのに腕から観たり、
腰を治すのに脚から観たり。
ある時ふと気付きました。
武術的な技を掛けるのも、
人の身体を治すのも同じだということを。
今迄出来なかったことが出来るようになる。
今迄観えなかったものが観えるようになる。
こんな楽しいことはありません^_^
そしてそんなことが可能になれば、
接触するにも段階があり、先ずは手などから始まりますが、段階が上がると身体のどの部位に触れても同じ様に出来るようになり、その先は触れずともという世界にも繋がっていきます。
この世界観が最初から出来た訳ではなく、段階的に観えるようになったことが立芯Risshinの強みでもあります。
要は言語化も可視化も出来るのです。
天性で最初からそれが普通ではなく、それを凡人の頃から今に至るまでの道筋を覚えているからです。
近年は武術の面白さを伝えるべく、様々な達人技などで身体の可能性を伝えていましたが、次の段階として身体を治す手の方も伝えていこうと思うようになりました。
それは人を治すだけでなく、自身の身体も良くする手。
健康こそ強さと常々話していますが、身体は放置したままでは錆び付いてしまう中々のじゃじゃ馬です(笑)
壊す手と治す手
車両の両輪として、両方ともなくてはならいものであり知ってほしいなと強く願うことの一つでもあります。