江戸時代の流れなのか、武士は食わねど高楊枝というような風潮をよく見てきました。それ自体をどうこういうつもりは何もありません。しかし、僕は良いと思うものを一部の人だけが独占することはフェアではないなと考えます。大きな意味ではボディーワーカーとして、その問題をビジネスの考え方を取り入れる事でとても健全になるかもと考えました。このことについてお話ししたいと思います。
昔、ビジネスという言葉に違和感を持っていました。
お金を稼ぐこと自体の意味がよく分かっておらず、自身の時間を捧げればお給料が貰えるもの。
そんな程度の認識でした。
稼ぐということとは、無縁の生活を長い間続けていたことによりお金を貰って何かをすることは悪までとは言わなくとも、何か後ろめたさを持っていたように思います。
奉仕の精神、
ボランティア、
報酬なしでのお手伝い、
とても響きの良いものでありそれ自体には非の打ち所がありません。
しかし、これ自体にも多少違和感がありました。
その人にも生きていくための生活があり、必ずお金はかかるという現実。
その本質から眼を背けているようにも感じている自分がいました。
問題とはボランティア精神が強過ぎると、お金に困る人が増えるということです。
良くも悪くも生活する上でお金は掛かるもの。身体のケアも然り、何かを勉強するに当たっても対価を支払えばお金が掛かります。
最近になって、
このような考え方が反転しました。
それは、
お互いが生殺与奪権を持った上でお互いに選ぶ自由があること。
それが商売という素晴らしさの一つなのだろうなと思うようになりました。
何処まで行ってもあくまで公平。
要求や希望があったとしても、それを受け入れることも拒否することもどちらでも選ぶことができる。
お互いに。
この自由さは、誰かに雇われていただけでは中々味わえないのではと思います。
もちろん様々な事情もあってそうなることはあるでしょう。
天職としてそうしたいと思う人も大勢いると思います。
僕が言いたかったことは、
今まで知らなかった選択肢がまだまだ無数にあるということ。
世界を拡げてみて、その様々な選択肢を学び知った上でやりたいことを改めて選択する。
選択する自由を手に入れる。
その為には稼ぐという力があった方が良いのではと自然と変化してきました。
稼ぐことは良くないこととしてしまうと、本当にやりたいことまで不自由になってしまいかねません。
「3方よし」
そんな形が理想です。
自身を含めた周りの皆んなが潤う社会。
それが豊かな人生なのではないかと
今更ながらに思った次第です。
ビジネスの世界はシビアな世界だとも聞きます。
それと同じくらい刺激的で温かい世界だとも聞きます。
自分で決めて、
自分で行動する。
こんな当たり前のことが出来なくなることが大人だとすれば
それは狭い世界で気付いていないだけかも知れません。
目指すは心地よい循環。
呼吸も動作も、
何もかもが円となって循環する。
ビジネスも同じ。
ただ全てにおいて何もしないで良い循環を待っていては時間が掛かり過ぎるし、
良くならない場合もあるだろうと思います。
一度きりの人生を
豊かに自由に楽しむために
知識を蓄え、
決断し、
行動をして、
間違えて失敗して、
何度でも立ち上がり、
自分とその周りの人が結果幸せになれば良い。それこそが悔いの無い人生になりそうな気がしています。
武と商売の両立
楽しそうなので必ず実現したいと思います。