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生き残るという発想

昔からスポーツなどをやっていて、

瞬発系の動きやフェイントの類が得意ではありませんでした。

小さい時から比較的身体がデカい方で、

スピードやテクニックはなくともパワー一択で圧倒出来たことも理由の一つ。

そして、

スポーツ特有の正々堂々という風潮が好きでした。

身体が大きい分、

相手に敬意を評し勝手に制約をつけたり、わざと力を制御したりと今思えば若かったなと思うことを色々としてきました。

様々な意見や時代の流れ等あるとは思いますが、これはこれでいいと思っていました。

その考え方に疑問を抱いたのが、本来の意味での武術というものを学んだときのこと。

生き残る技術。

そこには、

俗に言う正々堂々や、卑怯などという生優しい感覚自体がありませんでした。

むしろ、

それにつけ込むような術が散りばめられぼけっとしたほうがむしろ悪者(笑)

騙された方が悪い。

当然といえば当然。

負けて死んでしまえば大事なものまで守ることが出来ない。

勝てば官軍、ではないがまずは勝つことイコール生き残ることが優先されてきた世界の話。

この平和な日本において、何処まで必要なモノかは分かりません。

しかし、

悲しいことに事件や犯罪は0ではない現実があります。

ならば備えるに越したことはありません。

虚をつく。

相手の想像し得ないことをする。

反応出来ないことを裏でする。

戦いは、

事件は、

ヨーイドンでは始まらない。

普段の心構えと、臨機応変で対応出来るキャパシティを無限に拡げることが助かる確率を上げる唯一の方法ではないかと思います。

そのためには稽古しかありません。

ただし、

稽古とは身体を動かすことだけが稽古ではありません。

日常の生活全てが稽古であり、実践の場であると思って過ごすことを指します。

一回きりの生に、

リハーサルはないことを念頭に置く。

その上で、

日々笑って生活を送り本来の寿命を全う出来たならこんなに嬉しいことはないと思い過ごしていきたいですね^_^