情報過多のこの時代、あらゆる分野での情報が流れ出ているように思います。その情報の真偽を見極める目は必要ではありますが、人によればもう情報には価値がないと言っている人もいるくらいです。ある意味では真実でもあり、ある意味では勿体無いなと思う部分もありますが今回書きたいことはその情報を知っているからといって全てを理解したと思うことに対しての警鐘をしたいと思います。
それ知ってる。
子供が良く使う言葉ではありますが、大概は知っているのにしていない時の負け惜しみとして使う場面をよく見かけます。
これは大人になっても同じことで、それは知っていますという情報があったとして、ならばそれを実際に使いこなせていますか?という話しです。
身体操作の世界でもそれは同じ様に起きている問答です。
聞いた事がある。
読んだ事がある。
見た事がある。
知っている。
そんな会話の中で、もう一歩進んでそれは出来ますかというと中々うまくいっていないということが多い様に感じます。
まだ試していれば良い方です、本当に事象を知っているだけで試したこともないということも少なくありません。
これに対してとても勿体無いなと思ってしまいます。
なぜならば、
その情報の中身を知れば、その人の人生を変えてしまうほどの意味が詰まっているかも知れないというものがあるからです。
どんな世界も同じです。
強くなるにしても、健康になるにしても、お金を稼ぐにしても、生きていくことにしても。
その答えは目に見えるところに流れる様にはなりました。
ただそこに実を入れるのは、自分自身しかする事が出来ません。
すべてを知った気になって、悟った気になって、なんでもしない言い訳に使う。
こんな経験はないでしょうか?
一つ一つの情報というものは、血の流れている人間の経験や体験の結晶で、本物の宝だと思っています。
活かすも流すも自分次第。
責任は自分にあります。
どんな場面でも、その情報をどう使うかを選択する自由はこちら側にあります。
見極めるコツは、その情報を自分自身で体験してみること。
その上で良いと思えば、その情報発信者に近づくこと。
これが1番の近道だと思います。
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