神路通(かみじどおり)とは、神の通る道(路)を想像して名付けました。ここでいう神とは、決して神秘的なものや霊気的なものではありません。ではなぜこんな名前を付けたのかを想いを乗せて書いてみたいと思います。
神秘的なものや、霊気的なものではないとすると「神」とは何をイメージして付けたのかを先ずは話したいと思います。
神とは、すなわち気であり、血であり、意識であり、肉体の調和のことを表しています。
より具体的に説明すると、
ある手の形を作ることによって身体全体に力が漲り、自然と調和の取れた身体操作になる優れたモノを発見し、この手の事を「神路通の手」と命名しました。
その形を作ると身体の中の血がより巡るようになります。
それはつまり、身体の滞りの流れ出し、力ご繋がり、意識が止まらなくなるという作用が含まれます。
まさに様々なものが緩やかに流れ始める手。
我ながら良い名前を付けたなと思うのですが、ただの技法や技術ではないものの知ってしまえば誰にでも今すぐ使えるものです。
逆に言えば、知らなければそこで流れは止まっているということにも繋がります。
以前、伝授を行いましたインビジブルシャフト(見えない軸)でも、武術の特殊な視点を書きました。
これも知ってしまえば、見えない軸がその場で見える様になるものです。
誰にでもです。
それくらい人間というものを研究に研究し尽くした武術というものには、感服するばかりです。
「インビジブルシャフト」にしても、
「神路通の手」にしても、
元々あったものを
何年も何十年も掛けて
ようやく見つけ出し使える様になったもの。
それを1人で独占して楽しむには、僕はあまり性に合っていないことが近年分かりました。
周りの方々と
同じ目線で、
同じ様に活用して、
同じ様に健康的で豊かな人生を歩んで行きたいなと本気で思っています。
僕自身は武術畑ではありますが、
特に活用して欲しい人はいます。
それを他人の為に活かしてくれる人、
自身に対して活かしてくれる人、
そしてこの宝物を大事にしてくれる人。
包丁などど同じで使い方によっては危険な方法にもなり得ます。武術とはそんな要素も必ず含まれるからです。
ただ僕の周りでは、そんな人は1人も見たことがありません。
だから安心して全力で伝えることが出来ます。このことが楽しくて楽しくてしょうがない日々です。
神路通の手を手に入れた世界は、まるで世界が違って見えるでしょう^_^