タイトルの言葉はある好きなお店のマスターから聞いた何気ない会話の一つです。ですが、この感覚はとても重要な真理が入っているなと感じたのでシェアしたいと思います。
タイトルにある、
「腹が減っているからこそ美味しい料理が作られる」
この話は、店が忙し過ぎて途中ご飯を食べる時間が無かったことを労った時にマスターから出た言葉でした。
この感覚はとても腑に落ちました。
なぜなら僕も普段食事の献立を考える時、腹が膨れている状態ではなにも考えられないからです。
全くと言ってよいほど美味しい料理が思い浮かばない。
そういう状態だと何を作りたいかも散漫になってしまい、それを美味しく作ろうという気持ちも入りにくいと考えます。
飢餓感、ハングリー精神、こういったものは他にも全て繋がると考えます。
動きを制限して動けないからこそ、美しく動こうとする。
站椿などはまさにこの感覚を強制的に生み出しているものとも言えるのでないでしょうか。
歌えないからこそ歌いたい。
勉強出来ないからこそ勉強したい。
出来ないから出来るようになりたい。
なんでも一緒です。
なんでも芳醇に潤っているから豊かであるとは限らないという一例でもあるような気がします。
満足している状態ではそれを追求しないでしょう。
追求しなくても満たされているからです。
ならば人為的に飢餓感を作ることも、何かを向上させる一つの方法であるなと思いました。
心を動かすためには身体に制限をかける。
これは面白い試みになる予感がしますね^_^