身体的自由

自らルールを作る世界

世間には様々なルールがあります。それは憲法や法律のようなハッキリとしたものから、家族や友達関係とのルールまでピンキリです。そしてそのルールはいくらでも変えられるということを知れば、とても楽に生きられますよという話を書きたいと思います。

最初に断っておきますが、

ここでいうルールを作るという前提として、憲法や法律はそれに従うことが前提です。

ただ大人になれば段々理解してくるようになりますが、どんな憲法や法律でさえ不完全なヒトが作ったものである事を知っておかなければなりません。

大の大人が解釈次第でどうとでも利用出来ることを知った時は、そんなもんかと笑ってしまった記憶があります。

人を殺すことは良くないと誰もが思いつつも、世界のルールは戦争を駄目とは位置付けていません。

化学兵器などと呼ばれているズルい兵器は禁止だけれども、核兵器は禁止にはなっていません。

国民の代表である政治家ですら、憲法の解釈を時代によってかえたり、法の抜け道を括っている方々もいるくらいです。

それが道徳的にどうとかそういうことは今回は特に何も言うことはありませんが、ルールというものは有って無いようなものだというそとをお伝えしたいと思います。

そして、

これは闘争にも同じ事がいえます。

組織間でもそうですし、個人間でも同じです。

路上での戦闘ですら、暗黙のルールがあったりします。

ただそのルールは誰でもない、ヒトが勝手に作ったものだということを再認識する必要があると考えます。

生き残る知恵を働かせるにはこのルールすら利用する必要があります。

決してルールを破ることを推奨している訳ではありません。

しかし、そのルールは何のために作られ、誰のためのルールなのかは自分自身の頭でしっかりと考える必要があります。

遠い昔、子供の頃に学校でルールを守りましょうも何編言われたことか。

そのルールは大人達が楽をしたいから作ったものだというものも数知れません。

本当に必要であったか?

その答えをちゃんと真正面から向き合って答えてくれた大人がどれだけいたか。

僕は理解出来ないことが多い世界だなとその頃から辟易していました。

なんでもしていい自由は求めてませんでしたが、お互いが自立して尊重し合う自由はずっと求めていたように思います。

なぜ中学で丸坊主にしなければならなかったのか、今だに答えはありません(笑)

武術を深める中で、人とのルールを理解して、そのルールの穴にこそ勝機があるというものがあります。

人の意識の外。

そしてそれは日常生活でも全く同じ様に応用出来ます。

そんな世界を誰にでも知ってもらえる様にこれからも努力していきたいと思います。

【ブログが面白いと感じてもらえた方には、ブログより更に深い配信をしています】

立芯の公式LINEはこちら

https://lin.ee/vWYOsDK