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見せられる稽古と見せられない稽古

古来武術の稽古とは人に見せるものではなかったのかなと個人的には思っています。

なぜなら武術の本来の意味は、生き残るための護身術。

殺されないように己を研鑽させる。

その手の内をバラしてしまっては、殺されるかもしれない敵に武器を渡すことと同じだからだと思うからです。

戦という大きな戦う場が無くなった江戸時代位から、道場というものが生まれて広く大衆にも武術を教える場が出来たと聞いたことがあります。

教える事を生業とする人が現れたと。

それまでは、一族の中で伝わるものとして外部の者には極力伝わらないための隠匿と工夫がされていたことが普通だったのではと思います。

この伝わらないように工夫されてきたということろが厄介で、パッと見ただけでは分からないように型が作られていたり、口伝だけで大事なところが隠されていたり、触れない事で本質が伝わらないようにしていたり、それはそれは見事に隠蔽されていることが最近になってよく分かるようになりました。

まぁ本当はもっと奥深く隠されているのでまだまだ多くの謎は含まれているのではないかと容易に想像つきますが(笑)

そういったものに色々と出逢う中で、見せられる稽古と見せられない稽古というものが存在するな~と思うようになりました。

映画の年齢制限みたいなものかなと。

本当に信頼出来る人とそうでない人。

そこを見抜く力も養う必要がある。そう思います。

とはいえ、

そんな隠して秘密にしたところで

身体的自由

健康的自由

経済的自由

これらの自由は手に入らないので、

そのエキスを、その本質を理解して分かりやすくお伝えすることが僕のやるべきことの一つだと認識しています。

この時代を面白おかしく、豊かに過ごしていきたいですね^_^