身体的自由

身体向上の道しるべ

身体を鍛える、身体機能を向上させる、そんな時に道標となる指針はあるでしょうか?僕はその時々の指導者から教わる形でしたが、そこにいる全員同じ運動をすることで鍛えるスタイルで鍛えた結果壊れました。その理由と対策などについて書きたいと思います。

アスリートをやっていると、常にこんな疑問が頭の中をよぎっていました。

このトレーニングは本当にそのパフォーマンスを上げられるのか?

この動きは本当に自分に合っているものなのか?

その段階での身体に過度な負荷を与えていないのか?

このトレーナーの指導は自分の身体に合っているのか?

筋トレ一つ

稽古一つ

身体の動かし方一つ

ずっと疑問が解消されないまま大人になった過去。

その疑問は12歳の時にスポーツにより身体を壊したことから始まりました。

軸となる部分が抜け落ちたまま、

有名な選手がそうしているから。上手い人がこうしてるから。結果を出している人が言っているから。

一番の問題だと思うことは指導者が本当に身体のことを理解して、個人個人に合った指導しているのかということ。

しかし、

それが正しいか正しくないかはやってみないと分かりません。

正しくないと分かったとしても、それは教えてる側ではなく、教わる側の責任に責められることが少なくありません。

身体が弱いからだ。

根性が足りないからだ。

気持ちが弱いからだ。などなど。

練習方法も出来ないことが出来るように

というより、出来ることをより出来るようにという部分の比率が高かったと思います。

そのためには、

身体を大きく作り、スタミナを作り、スピードをつける。

ひたすら数をこなす。

勘違いされたくないことは、数をこなすことは全く否定はしません。

むしろ数イコール時間をかけることによって全てのものは向上すると本気で思っています。

ただ、

正しくないものに時間をかけることには大いに疑問が残りますが。

身体を壊す人が次々と消えていき、次は自分かと怯えながら鍛える日々。

正しくなければいつか限界がきます。

分かりやすくいえば、身体が壊れることで気付かされる現実。

信じるに足る根っこの部分が完全に抜け落ちていては、偶然いい指導者に巡り合った人のみ次のステージに上がれる。

そんな仕組みを山ほど見てきました。

何をするにしても、時間を費やした先に身体や精神が壊れる仕組みは正しくないと考えます。

時を重ねれば重ねるほど、健康になり、それでいて強靭になる方法。

そんな方法に20代の頃に巡り会えたことは幸運でした。

その頃からです。

自分の主軸は、自分の身体になっていきました。

つづく