身体的自由

遠廻りこそ本質への近道

いつからでも本質を習いたい。これが偽りのない本心です。これまで様々な習い事をしてきましたが、本質的なことに触れるまでそれなりの年月が掛かっていたように思います。分からなくとも初日から本質を。僕はそんな世界を望みます。

「急がば回れ」

昔の人はよく言ったもので、

まさにその通りだと思います。

何かをする時、

表面上のものをするか、本質的なものを追求するかでは辿り着く場所が全くの別物になるものです。

しかし、

えてして本質的なものは目立ちにくく、単調な傾向があります。

習い事あるある。

興味を持ってもらうためにわざと表面上の楽しい派手な部分を表現します。

そんな場面をよく見てきました。

小さい頃の昔は

よく覚えてはいません。

しかし、

近年興味が湧いたものについては

そのような傾向がありました。

例えば、

武術の教えの中に【立ち方3年】という言葉が残っていたりします。

本物の人は、この言葉通り約3年間本当に立ち方のみやってきたといいます。

しかし現在では、

このように教えていては人が集まらないとそんな教え方はしていないことが多いと思われます。

ここからは個人的な見解ですが、それこそを教えて欲しいと切に願っています。

それが最短で、一番身になると分かっているのなら尚更そういます。

表面上は楽しく、充実感があっても3年後には何も残らない。

そんな感覚が一番辛い。

同じ人間がやる事なので、出来ないことはないと本気で思っています。

どうせやるなら本物を本質をやりたい。

数年後でも、意味のあることを継続したい。

そんなことを信念として生活を行なっていたとき、【立つ】という稽古法に出逢いました。

何も情報がなければ、今日明日に意味を見つけることは難しいものです。

しかし、

体験を伴えば今日明日にも使用でき、継続した数年後には更にブラッシュアップ

される身体を得ることが出来る。

楽しみを伝えつつ、本質的なもの。

遠廻りを楽しむことが出来れば、辿り着く先はより高みに達することが出来ることでしょう。

そんな場を創りたいと思っています。