達人のような者を、あたかも全てのトリックは知ってますよとばかりにマウントをする人の話しを聞きました。このことについて私見を話したいと思います。
優れた(ような)技を見せる時に、その様なやりやすい環境をわざと作って凄いように見せかけるとその方は話していました。
例えば、
しっかりと手を掴んでくださいという、手を掴むという縛りをつけてそこから技を掛ければ誰でも綺麗に掛かるのではという論理でした。
諸々の縛りはトリックであり、騙しであり、実戦では役に立たないと言わんばかりでした。
ある意味においては真実でもあり、ある意味においては「ん?」となるような感覚を覚えました。
先ず率直に思ったことは、縛りを付けずにどうやって試すのかな?と疑問に思いました。
人を傷める技を、そのまま傷付けるように掛けるとどうなるか?
そんな所で人は育つでしょうか。
そして育てる人はある意味では味方を意味しているとは思うのですが、その方々すらも傷付けるというのでしょうか。
縛りは必要不可欠だと個人的には思います。
しかも世界中にそれは存在しています。
戦争ですらが縛りがあります。
何をやっても良いわけではありません。
政治にも、仕事でも、戦いでもです。
相撲一つにとっても、
足の裏以外着いてはいけない。
そして土俵から出れば負け。
そういう縛り。
なんでそんな縛りがあるかなんて誰にも分かりません。
要は自分の土俵(領域)を作り上げ、如何に相手をそこに誘き寄せるか。
それこそが武術の妙だと思っています。
1対1で素手で自由に戦って、倒したら認める。
そんな狭い領域だけが本当?の戦いではありません。
それはあなたの作ったあなただけの領域。
なぜ素手?
なぜ1対1?
闘争というものの考え方も人それぞれ。
意識は無限だと考えます。
僕なら一つの考え方に捉われることなく、滞ることなく、みんなと楽しみながら世界を歩いていきたいです^_^
領域の展開。
それは誰しもが持っている空間であり、それぞれがそれぞれを認め合う様な寛容な世界を望みます。
個人の世界観を他人に押し付けることはあまり好きではありません。
そして何がなんでも勝つ事が必要であれば、相手を自分の土俵に引き入れ、自分のルールで勝つ。
これも武術のもつ厳しさでもあると考えます。
まぁそんな場面は一生にそう何度もないと思いますし、そんな場になる事自体まだまだ未熟なのだと思いますが。
敵などいない穏やかな道を歩いて行きたいですね。