子供の頃から神頼みというものをしたことがありませんでした。何かを望むならば、そう行動すればそうなるということを知っていたのであやふやな何かに頼ることが考えられなかったからです。ですが最近少し考え方が柔軟になってきた様にも感じるのでお話ししたいと思います。
年に一度の七夕の行事をみて、そういえば自分は願い事というものを生涯したことがないなとふと気付きました。
なぜかと考えると
何かを叶えるには行動しかないという思いが先ず初めにくるからです。
こんなこともありました。
かなり昔の高校受験シーズンのこと。ある友人が受験合格を祈願してかなり遠目の神社?にお参りに行ったという話しを聞いて、そんな時間があるならば1点でも多く取れる様に勉強すれば良いのになと冷めた目で見てたことを思い出します(笑)残念ながらその友人は落ちてしまいましたが。
結果はともかく、依存するということには疑問があったため良くも悪くも相手次第という状況があまり好きではありませんでした。
現実を変えられるのは自分だけ。
それは孤独な歩みとはまた違って、豊かな人生を望むのも、清貧な人生を望むのも、周りから左右されるものではなく自分自身が選択した結果だということ。
人賑やかに進むのも、一人で進むのも
最後に決めるのは紛れもなく自分。
ただ最近は願いというものが全くの無駄だとは思わないようになってきました。
それが決意表明だとしたらという条件付きではありますが。
決意を心の中だけに留めておくのではなく、表に出すことはとても大事です。
その願いや決意を、
誰かに話す
SNSなどで投稿する
不思議なものでそれを聞いた人がそのことに関心があればなんらかのアクションを貰えるかも知れません。
同じ事を願う仲間が増えるかもしれません。
言葉と行動に出さなければ、どうしても1人完結になりがちです。
誰かが言いました、
「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」
願いを叶えるための繋がりを作る為にも表に出すこと。
願い事を表に出すということは、本来こういう意味も含まれている様に最近は思えてきました。
僕は先月、
ある一つのことをやめることを始めました。
これは終わりでもあり、始まりでもあるとても楽しいことです^_^
ここにきて未来予想が全くの白紙になりました。
それがまた面白い。
願い、決意、目標など
これからはどんどん表に出していきたいと思います。