人生論

立つ

ただ「立つ」。

それだけのことに、これほど奥深さがあるとは、昔のわたしは思いもしませんでした。

けれど、毎日立ち続けていくうちに、気づいたのです。

立つという行為は、単に身体を垂直に保つことではありません。

それは、自分の心と身体の“芯”に触れるための、もっとも原始的で、もっとも繊細な営みなのだと。

重力に任せるのではなく、抗うのでもない。

ちょうどいい場所に、ちょうどいい力で、自分を置くこと。

それが「立つ」ということの本質ではないかと思うのです。

現代は、立つことすら忙しさの中に埋もれがちです。

移動は座ったまま、会話は画面越し、呼吸は浅く、心も落ち着かない。

そんな時代だからこそ、

ただ立つという行為が、静かにすべてを整えてくれると感じています。

立つと、呼吸が変わります。

呼吸が変わると、意識が変わります。

意識が変わると、選ぶ言葉や行動までもが変わっていきます。

つまり、立つとは──自分の人生に立ち会うこと。

わたしが姿勢を伝えているのは、姿勢のためだけではありません。

それは、その人が「自分のままで人生に立ち会っていく」ための、静かな準備だと感じているからです。

今日も、誰かがそっと立ち上がる。

その姿に、わたしは未来への希望を見ています。

立芯《旅する姿勢家》

わたしの公式LINEでは、「立つこと」から始まる深い身体の探求と、日常に生かすヒントをお届けしています。

ただ立つだけで整っていく、そんな時間を一緒に味わいたい方は、ぜひご登録ください。

https://lin.ee/KH3YisY

立つことが、生きることのはじまりになる。

そんな静かな革命を、今日から始めてみませんか。