身体的自由

たまには鏡で我を観る

身体を動かすスポーツや武道での指導方法として鏡を見ないという教えがあります。しかしある意味においては見ることも必要だなと思うことがありそのことについて書きたいと思います。

初心者において自身の動く姿を鏡で見ながら動作することは、やる気が湧いたり楽しくなったりもします。

ですので楽しむということにおいては、鏡を見るということは良いことではないかと感じます。

ただその反面デメリットとしては、鏡の自身を見てしまうことで視線が常にそこにいってしまうことが挙げられます。

視覚とは五感の中でもとても鋭いものでついつい視覚に頼り過ぎると、身体の感覚が鈍くなってしまうからです。

また自分の身体の姿が基準になってしまい、目標としているものに辿り着きにくくなってしまう。

といったところがあります。

出来るならば、先を進んでいる人をイメージしたり真似をしたりして取り組むことが長い目でみて綺麗に上達する一つの方法ではないかと考えます。

そのような理由から元々そういう習慣がなく、基本的には鏡を見て練習はしていませんでした。

しかし、

自分の動きの感覚と実際にどう動いているかは別物。

優秀なコーチが常に側にいて自身の姿の修正を補ってくれるのならともかく、自分自身で修練を積んでいる人にはたまには鏡や自身の動画を撮影して見てみることもオススメしたいと思います。

何故ならば、セルフイメージと映像の中の自分が相当かけ離れていることが多いからです。

目を瞑って両手を横に広げ肩の高さに上げる。

目を開けてみると微妙に左右の高さが違ったり、ひどい時は両方とも肩の高さにない場合も十分にあり得ます。

要は、イメージ通りに身体を動かせていないということを認識する。

まずはこのことを知ること。

そして、細やかな修正を行いながら、理想の自分に近付けること。

今迄、

本当に最高のイメージ通りの動きをしていたことはまずありません。

それくらい身体感覚は難しいと感じるところです。

自分自身の身体なのにも関わらず理解していない部分がまだまだ多い。

なので、人に見てもらうということも向上する上で必要なものの一つだなとつくづく感じます。

もちろん、自分より知っている人に見てもらうことに限りますが。

特に注意しておきたいことは、

身体のことを知らない人に、イジられることほど怖いものはありません。

身体の故障の原因にも成りかねない可能性も十分にあります。

良師は3年かけても探せ的な言葉も、非常に共感する言葉です。

最終的には自己責任の世界ではありますが、選択肢は一つなんかではありません。

もし一人で追い求めるならば、身体にとって心地良い姿勢や動きであれば間違いないでしょう。

それにしても

いつになっても、自らを撮影した動画は自身の最高のイメージとは程遠い。

追い求める様はまだまだ遥か先にあります。

いつか鏡に映った自分の姿が、イメージ通りだった時の感動はどれくらいなのでしょうか。

積み重ねる時間が楽しみで仕方がありません。