身体的自由

ゆっくりを極めると止まった様に見える動きになる

以前ゆっくりの最上級は、動かないことと書きました。この本質についてもう少し深掘りして書きたいと思います。

ゆっくりの最上級は動かないこと。

この表現は、一方では正しく、一方では正しくないかもしれません。

外見上は動いていなくても、内部では動いている状態が好ましいからです。

動いていないではなく、動いていない様に見えている。

これが正確かも知れません。

バネを縮めるように身体全体を収縮し常に力を溜める。

腕のバネ化を全身バージョンに変換する感じ。

その状態を外見上は動かないようにしながら中だけ動かす。

これを行うためにはしっかりと静観することが必須です。

目を瞑ってもよいし、開けてもいいです。

意識を内に向けると身体の部位がどう反応するか。

身体全部がどう繋がるかを探る。

左右に重心を移すとどうなるか。

それらをじっと動かずに内観する。

これにはちゃんと意味があります。

動かずに動かすことが出来れば、それを速く動かせばいいだけになるからです。

そうすると正しくて強い動きが、速く出来るようになります。

逆に速い動きから、正しく力強くを突き詰めるのは難しいと個人的には考えます。

ゆっくり動いても、力強さが損なわれない身体の使い方。

それを得るための訓練が立ち止まること。

大和の姿勢ではそれを誰でも出来る様にお伝えしています。