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コメディアン 志村けんさん

日本国民なら誰もがご存じの志村けんさん。とても好きな人の1人なのですが、遺している言葉の一つ一つがとても素敵で憧れます。その内の一つをご紹介したいと思います。

  • 好きな言葉
  • お笑いを追求した先に
  • 飽きたあとどうするか?
  • 凡人と一流の違い

大好きなコメディアンさんの一人、

志村けんさんが生前にこんな話しをしていたそうです。

「同じギャグでも、やり始めは無駄な動きやセリフが残っている。何度も繰り返しやっているうちに完成形に近づく。

 もうこれ以上はそぎ落とせない、自分でも飽きてきたというほどやり込んだときに、ようやく世の中がそのギャグを受け入れてくれる。自分で飽きながらも、その飽きを受け止めて続けられるかどうか。その根気が肝なんだ」

お会いしたことはないので、実際にどの様な温度感でこんな話しをしたかは分かりません。

ただ、

人生を掛けてお笑いを追求し続けた姿勢は、様々な人達からこぼれ落ちて来るお話などから本当にそうだったのだろうなと想像出来ます。

やり始めの無駄な動作の多さ。

飽きるほどやり込んだあとの結果。

そして、

飽きを受け止める度量と継続出来る根気。

どの世界にも突出する人は必ずいますが、通じるところはとても似ているものだなとしみじみ感じます。

凡人からみると、途轍もない熱量と圧倒的な時間を掛けるところも一流と呼ばれる人の共通点な気がします。

本人からすれば当たり前の話かも知れませんが(笑)

何事もその道で一流になるならば、

掛ける時間は必須だと考えます。

圧倒的な量。

そこから見えてくる創意工夫の数々。

少しかじった程度では到底追いつかないモノ。

とはいえ、

普通は散々やりきったら飽きることは普通だと思います。

そして飽きたらやらなくなるもの。

大概はそうなるでしょう。

例え飽きてもやり続ける。ここにいい意味での狂気を感じます。

飽き性と決めつけるのではなく、むしろそこからだと根気よく継続する。

みんなとワイワイすることも至高の楽しみですが、根気よく継続する孤独な自分も楽しめる様、ゆっくりと幅を広げていきたいなと思います。