出来ないことを0として、出来ることを1と捉えます。0から1を生み出すことは簡単なようでいてとても難しいことでもあります。ただ、誰もが赤ん坊の頃からの成長過程でその道は通ってきた道です。大人になるに連れて、ただ忘れているだけ。その思い出し方を立芯道場では大切にしています。
自分自身を観察する。
たまたま撮影した自らの姿を見たのですが昔から出来なかった動きが自然と出来ていたことに感動を覚えました。
出来たこととは身体の動作のことです。
具体的には、
・落下を加速させる
・左右の方向転換
・全身の一致
このようなこと。
膝の抜きと身体の収縮を合わせた沈み込む動作。
切り替えの早さがキモである左右の脚に重心を瞬時に移すときの動作。
そして、
これらを行うときに全身が協調していること。
出来てしまえば、
このように表現出来るが以前はどう行うかまったくの謎だらけでした(笑)
どう動いても、それっぽくはなってもそうはならないモノでした。
一つ確認の仕方で気をつけていることがあります。
それはじっと鏡で見ることは避けます。
何故ならば、見ながら動いていると視線がその部分に向いてしまうため本来のバランスが崩れてしまうからです。
先日の気付きの一つ、向き合う方向が変化してしまうにも繋がります。
また、内観の感覚が薄くなります。
単純に雰囲気の確認という意味では良いは思いますが。
あとは写真や動画などで客観的に観察することをお勧めします。
自分も含めて、大体の人は自分では何かしらの動作を出来ていると思って動いていることが多いです。
出来ていないことを知ることが初めの一歩。
10を11にする稽古も尊いですが、
0を1にする稽古はまた格別に面白い。
歳を重ねれば重ねるほど、
0から1に出来る幅を広げていくとその先には競わない世界を歩んでいけます。
あまり争わない方が好きな自分としては、こちらの世界の方が向いているなとつくづく感じる次第です。