武術の「武」の字をよく見てみると、戈を止めると書いて武と読みます。まさに矛を止めるとは護身のこと。このことについて書きたいと思います。
ここでいう戈を暴力と定義すると、止めるとはその暴力を止めるという意味になります。
日本という国は、治安の良さは世界に比べればとても安全な国です。
銃も刃物も基本的には所持は許されず、些細な暴力からもしっかりと警察官が守ってくれる。
だから暴力による脅威は無く、常に安心安全に暮らしていくことが出来る。
果たして本当にそうでしょうか?
性悪説などというつもりはありませんが完璧などという世界は存在しないと考えます。
人は人の皮を被った獣だとも考えられます。
そもそも動物である人間同士が、お互いを尊重し合うために絶妙なバランスで生活している。
そんなイメージがある中で暴力は予告してきません。
動機や予兆がある場合もあるでしょうが、突発的な事件も後を絶ちません。
果たして理不尽な暴力が不意に降りかかってきたとき自分自身を守ることが出来るのか?
守らなくてはならない人を、守り抜くことが出来るでしょうか。
それはただ腕力が強いとか、武器を持っているだとか、仲間が沢山いるからとか、そんなものだけで解決出来るほど簡単な問題ではないでしょう。
咄嗟に生き抜く力。守り抜く力がとても重要だと考えます。
そんな感覚がとても鋭くなるのは、やはり海外に出たときです。
言葉も文化も違う。
そういう意味での不安度は、日本にいる時の比ではありません。
もちろん四六時中そんなことばかり考えている訳ではありませんが、100%大丈夫という楽観視だけは出来ないことも事実です。
そこでもやはり先が要。
備えや準備が生死を分けるかもしれない。
その国の文化や情勢を知ることも重要でしょう。
もちろん日本だから100%安心という訳でもありません。
対応できる肉体と精神は常に持っておきたいもの。
だが一番の護身は何かと聞かれると、現段階での答えは、敵と仲良くなること。
敵がいなければ争いは起こらない。
敵を作らない。
これにはとても深い意味があり、方法は無数にあると思います。
日々の暮らしの姿勢や言動、人との本音の付き合い方。そんなところまでもが生死を左右する。
かもしれない。
それでも敵が生まれれば最後の手段、逃げるが勝ちを発動させる。
これも人それぞれでしょう。
個人的にはやるかやられるを繰り返すのは、負の螺旋から逃れられなくなるので勇気を持って断ち切ることが良い方向への第一歩だと信じています。
何事も先手。
後からでは取り返しがつかない。
そんな現実もあり得るかもしれない。
備えるための行動は、未来をより良くするためのもの。
それが楽しい時間ならば、尚充実した毎日が送れるでしょう。
技術の進歩だけが稽古ではない。
武を学ぶ楽しさの一つです。