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必要な経験を自ら取りにいく

大好きな映画slam dunkの一場面で、日本一の高校生が「高校バスケでやれることはやりました。もう俺に証明すべきことはありません。俺に必要な経験をください。もしあるのなら、それを俺にください」と神社で願う場面。その願いはその後叶うことになりましたが、これはバスケのようなスポーツに限った話ではありません。人生全てといっても過言でないと思うのでそれを書いてみたいと思います。

必要な経験。

それは主に大小含めて失敗のことだと考えます。

何をもって失敗と呼ぶのかは人次第ではありますが、失敗の数が多ければ多いほど人としての厚みが出ると思っています。

例えば

辛い経験を知っているからこそ、人の気持ちが分かるようになった。

怪我や病気になったからこそ、健康の大切さを知った。

などなど。

致命傷さえ負わなければ、何度でも失敗して構わないと考えます。

むしろ失敗することが前提で進めば、それ自体が問題でもなんでもない。

障害物や問題なんてものにぶつかりそうになったとき、

避けても良いし、

ずらしても良いし、

飛び越えても良いし、

壊しても良い。

要はなんでもいいということでもあります(笑)

ただ唯一の問題は、

その困難を味わいたくないからといって、障害をそのままにしておくことだと思います。

目標があるとして、その道なりに小石が落ちていたとして引き返す理由はありません。

蹴飛ばして前に進めば良いだけです。

それが目標に繋がる経験となり、その先の未来を明るく照らすことでしょう。

先の映画のように祈らなくても、いずれ経験するものだと思っています。

全ては繋がっていくと考え、その道程全てを楽しむ。

そんなふうに人生を生きていきたいと思います。