武術というモノに触れてから、早いものでもう30年近くは経ちます。未だに新しい発見があり、成長出来ることが楽しくてたまりません。その中での一つについて書きたいと思います。
近年になって、拳の握り方が初めてしっくりときました。
大山倍達という空手の先人の方が、晩年にも関わらず拳の握り方を未だに考えている。
という逸話がありました。
10代のときそれを初めて聞いて思ったのは、素直にそれを聞き入れることは出来ず流石に宣伝用の名言だと思っていました。
何十年も空手をし尽くした人が、拳の握り方が分からない訳がない。
そうたかを括っていました。
お会いすることは叶わなかったので、本心は分かりません。
しかし、
今なら想像出来ます。
あの言葉は本心だったのかもしれない。
握るという単純な動作に、ここまで身体が変化する要素が含まれるなんてものは想像すら出来ませんでした。
これを気付いたことで、これまでのあらゆる動作を最初から練り直す必要がある程です。
それくらい必要なパズルのピース。
発見したことで気付いたこと。
これは人を殴るときの拳の形などではなく、身体全てを包み込み纏めるための重要なスイッチ。
このスイッチを作動させながら動くことは、まだ日が浅くとても辛いものもあります。
しかし
これを日常とする。
それが自分にとっての稽古の意義。
これからしばらくはこの新しい拳に身体が囚われるでしょう。
しかし、
囚われの身から解き放たれ自由自在になることが出来ればまた一つ進化できます。
発掘方法は「大和の姿勢」で。
進化した拳の名は「神路通の手」で。
これからも死ぬまで発掘し続けたいと思います。