健康的自由

百触は一得に如かず

百聞は一見に如かず、百見は一触に如かずそして百触は一得に如かず。最後はただの造語ですがこれについて書きたいと思います。

百聞は一見に如かずとは?

百回聞くよりも、実際に一度でも見た方が価値があるというような意味ではないかと思います。

では

百見は一触に如かずとは?

百回見るよりも、実際に一度でも触れた方が価値があること。

さらに

百触は一得に如かずとは?

百回触れるより、実際に一度でも会得した方が価値があること。

言っていることは至極もっともであり、噂や口コミや本の情報より実際に見た方が確かだという場面はよくあることだと思います。

その言葉を踏まえた上で誰かが言った言葉。百見は一触に如かず。

テレビやネットなどでの映像や実際に見るだけでの情報よりも、実際に触れることの方がより確かなものを感じ取れるという意味だろうと推測します。

実際に触れれるという機会はそうあるものでもなく、本物だと思う人に出会うということはとても貴重な縁だと思います。

ただこのような事は、人生において求めていればいずれ出会うことだと個人的には考えます。

行動し続けていればいつしか辿り着くもの。それが一触の経験や体験。

ただそれだけでは満足出来ない自分がいます(笑)

その上でその先を考えたところ、

【百触は一得に如かず】

これはあくまで個人的に考えた造語です。

一得。

要は会得するという意味で使っています。

いくら聞いても、

いくら見ても、

いくら触れても、

自分のモノにしないと面白くない。

会得してみて、初めてそれを高めるステージが始まる。

自転車に乗れない時に、上手に乗れる人をどれだけ見ても触っても乗れた上での上手い下手は関係がありません。

乗れるようになることと、乗れてから上手くなることは次元が違う話だと思っています。

0を1にする。

そこが一番のキモであり、大事なところ。

一旦1になれば、0になることはなく、あとはやればやるほど上達するだけ。

一得。

何事も会得出来れば、身体に一本の芯が通る。

芯が通れば、心に余裕が出来る。

余裕があれば、人に優しく出来る。

会得していれば、人に伝えることも容易に出来る。

これは優しい世界を拡めることが出来るかも知れない。

会得がゴールではなく、会得がスタート。

まだ見たことのない世界を創りたいと思います。