武術をやり始めて数十年が経ち、難しいと呼ばれていた数々の気付きが、実は習い始めた初日から教わっていたことに気付くことが多岐にわたります。このことについて話したいと思います。
昔に言われてその時には理解出来なかった言葉があります。
それは、
時々秘伝を隠していると言われる事があるけど最初から全部教えているんだけどなぁという言葉です。
その時には口には出ませんでしたが、全部教えてくれているといってもやはり疑惑の念は少なからずありました。
何一つ理解出来ず、そして実際に出来ないそんな毎日。
途方にくれそうになるものの、本物が目の前にいるという事実のみが心を支えてくれる唯一の希望でした。
最初の気付きはいつ頃でしょうか。
一つ解ると次々に紐解かれる身体の謎。
ということは〇〇なのだから、ここが〇〇になり、この動作はこういう意味だったのか!
そんな感覚の連続。
やがてその感覚が何度も積み重なった頃一つの真実に辿り着きます。
あれ?
これは聞いた事がある。
見た事がある。
習った事がある。
そう、始めに注意事項として色々と伝えられたそのものであることを。
この時、受け取る器が出来ていないとどんな大事なものだとしても受け取る事が出来ないのだなと深く感銘を覚えました。
ただその時にもう一つ思ったことがあります。
それはいつか気付くだろうと本人に任せるという方法もあるとは思いますが、
伝えるということを第一に考えたとき、受け取る器を先に作った上でその意味を感覚を伝える。
そうすればその場でも渡すことが出来たのではないかと思うところがありました。
長年の修行期間は宝でもあります。ですが今すぐにでも使えなければ本番に間に合わないこともあります。
本物を伝えた上でそれを山の様に積み重ねる。
少なくとも僕のところではそれが根底にあります。
知っているか知らないかの世界では先ず伝える。
それを隠すから希少だから価値があるというのは本当に知ってほしい人に対してそうすると僕がストレスを抱えます(笑)
知ること自体に価値があるのではなく、知った上で積み重ねることに価値があると思っているからです。
積み重ねる本物の姿勢。
地味な外見とは裏腹に、宇宙ほどに広い自身に出逢える喜びを伝える人間になろうと強く思います。