身体的自由

美学という学問

ある本を読んで美学というちゃんとした学問がある事を知りました。その本の内容も面白くそれはまた話すとして、その学問自体の存在意義がまさに今僕がやろうとしている事にシンクロしていたので今回はこのことについて話したいと思います。

まずは美学という学問について

美学とは、

芸術や感性的な認識について哲学的に探求する学問のことをいい、端的に言うと言葉しにくいモノをあえて言語化していこうという学問のことだそうです。

例えば

美しい風景があるとして、なぜそれを美しいと感じるのかという部分を詳細に言語化出来るでしょうか?

色?

形?

それぞれのバランス?

それとも天候?

この様なことは実際には感じてはいるものの、具体的に言語化することはとても難しくはないでしょうか?

そこで今やっていることと似てると言ったのは、力を使わず人をコントロールする武の身体操作。

ふわっと軽やかに動いて、

鮮やかに人を投げ転がす。

実際に起きているものの、言語化することはとても頭を使います。

なぜなら、

なんとなく出来てしまうから。

そんな感覚に皆さんにも覚えはないでしょうか?

なんとなく字を書いたら綺麗に書ける。

昔から走りが速い。

匂いに敏感で違いがすぐに分かる。

異性によくモテる。

などなど。

なんとなく出来る事を具体的に説明出来ますか?

特に何も考えなくとも、身体がそう判断して、結果そうなってしまう。

会得するということはそういうこと。

ただし、

そこで終わってしまっては個人の能力と判断されていまいかねないモノ。

この曖昧で漠然とした感覚というモノを、相手に理解出来るように言語化する。

モヤモヤしたものをバシッと表現する。

そんなことを美学という学問では追求していくという。

そこにとても親近感が湧きました。

武術の世界では師匠がいて弟子がいた今迄のスタイルでは、

背中で見せる、

技術は盗むもの、

信頼した者にしか本当のことを伝えない。

全てではないにしても、このような伝承で再現性はそこまで高くはなかったように感じてきました。

ここは僕の努力次第ですが、伝えたい事の再現性は100パーセントにしたい。

本気でそう思っています。

その為には美学という学問を学ぶということもとても有意義な時間になりそうな気がします。

言葉にしにくい事を言語化する。

伝えたいとても素晴らしいことがあるならば、尚更その努力は積み重ねていきたいと思います。

腑に落ちた、

スッキリした、

という身体的な気持ち良さを探求する。

これからは武術家としてだけでなく、

ある意味美学者としての身体性も大切に育んでいきたいと思います^_^