身体的自由

考え過ぎると目線が泳ぐ

目は口ほどに物を言うという言葉がある様に、相手の目を何となくでも観ていると伝わるものが多々あります。この目について書きたいと思います。

目線を向ける。

よく使う表現ですが、眼で見るというとは微妙に違うニュアンスが含まれているように思います。

眼で見る。

目線を向ける。

感覚的には、眼で見るは具体的な何かにフォーカスしてそれ自身を見て確認するようなイメージ。

目線を向けるは、その方向全体に視野を移すようなイメージで使っています。

体の仕組み的には、目線の向く方向に重心が移ります。

なので、まずは行きたい方向があるとしたら、目線を向けてから身体を方向転換させると動きやすいです。

それには頭の重さも関係しているのではないかと考えます。

人は頭というとても重たいものを一番高い位置に配置している生物です。

重心移動では、その頭部が作用しないことは考えられません。

頭自身を動かすということにおいて、筋力で左右に動かすより、目線を向けるという動作の方が頭部を方向転換させる上で楽にできます。

意識しないでも、向くだけでスッと重心が移る。

何気ない方向転換も上手い下手があるとすれば、こういう動作を利用するかしないかでも差が大きく開きます。

タイトルにある考え過ぎると目線が泳ぐ

ということについて。

目線が定まらない状態ということは、重心が定まらないということ。

すなわち、次の動作が思い切りがなくなり綺麗な重心移動が行いにくいことをいいます。

そして感覚的に目線が泳ぐことは相手にも直接見えることなので、迷っていることがバレてしまっている。

それが普通に困っている人ならば、声を掛けて助けてあげればいいでしょう。

スポーツなどで相手ならば、その隙を狙うといいでしょう。

話術の中でも、

スポーツでも、

武術でも、

目線というものはとても重要な部類だと考えます。

だからこそ、目線で騙すことにも使用したりします。

フェイントや間を外す時などにも、よく使われます。

信じてもらうために目線を外さない、という自然に使っているものもあるでしょう。

それを色々と研究して、意図的に利用できればとても役に立ちます。

ある意味本能的な部分を利用するので、使う人の質も問われるものだとは思いますが。

人の目線にフォーカスして人間観察をすることも面白い趣味の一つです。