身体的自由

自由とは不自由から得られるもの

色々な考え方がある中で、こと身体に関して言えば自由を手に入れたければ不自由から入らないと手に入れにくいという感覚があります。このことについて書きたいと思います。

自由を手に入れるのに不自由から入る?

そう思われた人も少なくないのではないでしょうか。

勿論僕もこのことに関しては昔は?でした。

しかし、

何事も突き詰めて行く中で、全てが自由となってしまうとたまたま正解の方に進んだ人だけが良い道で、あとの人たちは道に迷ってしまうことが多いです。

世間ではそのような人のことを天才などと呼んだりもしますが、その天才の人ですら通ってきた道が分からず指導は出来ないという人も沢山いることが現実です。

真似をすることも一つの道です。

ただし同じことをしているように外見は見えても、中身はそうでないことが多々あります。

メジャーの大谷選手の身体操作は、普通の人が真似をしたところであのようにはならないことを見れば分かりやすいかも知れません。

同じ練習をすればああなるかといえば、それも疑問が残ります。

生まれつきの才能?

生まれて身体?

生まれつきの環境?

どれも正解であり、不正解だと考えます。

ただ今生に生まれた以上、最高の自分自身というものを体験したいと思うならばそれを再現する方法が必要です。

そのヒントは

武術の継承法にありました。

特に昔は一子相伝のように、戦いに特化した特殊な技術を次世代に繋いできた歴史があります。

突発的に生まれた天才頼みでは、家は廃れるし、そもそも護るものも護れません。

継いだからにはその技術や身体も再現出来る必要があったのです。

だからこその「型」です。

型とは決まりが無数に存在し、不自由の塊です。

だからこそ再現性がある。

そうともいえます。

好きなように動く前に、正しい動きを知ることが先。

そのあとに自由に動けば、何をしても自由なままです。

次回はその継承法について深掘りしていきたいと思います。