視点と視野という言葉は以前から知ってはいましたが、つい最近「視座」という言葉を人生で初めて知りました。やはり使う言葉が増えると人生に深みが増すので面白いです。今回はこれらの言葉について話したいと思います。
それぞれの言葉の定義としては、
視点とは、視線が注がれるところ。
「どこを見ているのか」
視野とは、眼を動かさずに知覚できる周辺視の範囲のこと。
「どこまでを見ているのか」
視座とは物事を見る立場のこと。
「どの高さから見ているのか」
こんな所でしょうか。
この感覚は様々なものに転換することが可能です。
例えばボディーワークを経て身体操作を知ろうとした時、この流れがあるとより理解が深まります。
先ずは視点と視野を拡げることが挙げられます。
立芯道場という場では、特に出来なかったことを出来るようにすることを大切にしています。
この時、身体の一部分だけを考えていると大概の技は相手に掛かりません。
そんな時に見ている視点を局所的から、全面的に拡げてみる。
腕を掴まれても腕だけに集中しない。そんな所でしょうか。
視野を拡げるという意味では、自分の身体のみならず相手がどんな状態で向かってきているのかを知る。
視点や視野を拡げるとは例えばこんな感じで使用出来ます。
そして視座。
見ている高さを変える。
物理的な身体操作を繰り返すだけでは、中々到達することが難しい再現性や応用力。
この中に時間という概念を加えることも視座の一つ。
先手後手という言葉があるとおり、勝負事には必ず先手と後手があります。
これは何も考えなければ、運天賦の話にはなりますが始まる前に先を取っていればどんな状況でも先手を取れます。
これは武術においてはとても大事な概念であり、究極の話ですが生きるか死ぬかの場面でギャンブルをうつことは絶対にお勧めできません。
絶対はない世界だとしても、概ね勝つ算段がなければ生き残る確率は半分にも満たないでしょう。
其処をひっくり返すには知識や技術だけではまだ足りません。
その先の先手を取る。取っておく。
どの域から何を目指すのか。
視座を高くするとは、そんな時に思考が拡がることに役立つことでしょう。
視野が狭く、視点が固定され、視座が低い人は自分の考えに固執してしまいがちです。
ですがその逆に視点を変え、視野を広げ、視座を高くすることによって、今いるステージから一段レベルの高い思考ができるようになるでしょう。
いつも言っていますが、どちらを選ぶにしても選択権は自分にあります。
蟻の視点で地上を知るのと、
鷹の視点で地上を知るのとでは全く世界が変わります。
世界は広いです。
視座を高く進んでいきましょう。