最近何かの記事でこんなことが書いてありました。
「弱者は強者に喧嘩を売ってはならない」
と俗にいう強者側からの発言だったと思います。
これをみて、
強者といわれる側は何をそんなに恐れているのか。
そんな寂しい思いに浸りました。
強い弱いなどというものは、言葉による幻だと理解しています。
時により、場所により、環境により、
そして時代により移ろい変化していくものです。
栄枯盛衰。
願望などではなく歴史がそれを証明していますし、だからといってどうという訳でもなくそういうものだ位の認識です。
我
俺は強い!!!
それを聞いた周りの人はどう思うのか。
関与がなければ何か言ってるな位のものではないでしょうか。
ですが関与してきたら話は別です。
その我欲に塗れた人(国)などに対処しなければなりません。
僕が1番嫌なことは、
誰かの意思で動かされ他の人を傷付ける行為です。
僕が僕の愛する人を守るためには、あらゆる手段も辞さないと決めています。
あらゆる手段です。
ですが、
何の関係もなく暮らしている人を他の何らかの意思で制圧せよと命令されたところで働きたくはありません。
立場や環境もあるでしょう。
ですが人権は誰にも踏み躙られない世界にはいつになったらなるのでしょうか。
そんな考えにふけていると、やはり日常において最悪に備えることは必須ではないかなと思えてきます。
武力などを持たないにしても、
知恵や仲間を増やす。
敵を作らないことも
立派な護身術の一つ。
襲ってきた敵と仲良くなることが1番と話されていた達人もいました。
護身とは何か?
そんなことを考えさせられる
今日この頃。
とはいえ、
出来ることといえばまずは自らのことからが最短の道。
何も備えないでなんとかなるというのは少し楽観的過ぎるような。
出来ることやれることをやり切った後に、あとはなんとかなるだろうと考えたいなと思います。
僕の出来ることの一つ、
日々豊かに生きていくための身体的自由を獲得する人を一人でも多くの人に伝えること。
【人類達人化計画】
それは優しい人を増やして争い自体を無くそうとする試みでもあります。
そんな優しい世界を一緒に作っていく仲間をこれからも募集していきたいなと思っています^_^