気という言葉を聞かない日はないのではないでしょうか。気を使う、気を配る、気難しい、気配を消す、気長に待つなどなど。日常に深く広く浸透している感覚であるにも関わらず、怪しまれる気という概念。これについて書きたいと思います。
身体に気を流すと聞くとどんな想像がつくでしょうか?
得体の知れないものを想像するかも知れませんし、漫画ドラゴンボールの気というもの、あるいはスターウォーズのフォースの様なものを想像している人もいるかも知れませんね。
僕の考える気とは、普段は血液の様なものと捉えています。
普段脱力が大事ですよと伝えさせてもらっていますが、身体のどこかに負荷が掛かってしまうとその血流が流れない感覚があります。
血流が止まってしまう(現実には流れてはいますが)ような身体の使い方から澱みなく流れる様に身体を動かす事ができればとても心地良く動けるようになります。
この感覚が気の整っている状態だと表現することも出来ます。
全身に満遍なく気が満ちている感覚。
この状態であると、なんでも出来るようになります。
軽く触って人を飛ばしたり、
転がしたり、
物を軽く持ち上げたり。
ただそれは超常現象のような特殊なものでもなんでもなく、身体全体を連動させて力を伝えている結果になります。
その証拠に触らずに人を飛ばすことは出来ません。
気を逸らしたり、気をかわしたり、気の圧で下がらせたり近付けさせたりはありますが、それもある意味技術です。
答えを言わなければ先ず知る事がないようなもの。
そういうものも含めて「気」という表現は使いやすい様に思います。
ないといえばないし、あるといえばある。
そもそもエネルギーなんてものは、小さいものから大きいものまでそこらじゅうで発生しているものです。
それを上手く使うような身体操作があり、そのことを普通に使う事と分けて説明するために気を身体に通すという言い方をします。
決して凄いことではなく、あくまで身体を心地良く活用した結果のみ。
その身体の作り方は?というと、
それは大和の姿勢講座でお伝えしています。