身体的自由

達人とはなんぞや、私見

達人とは?

世間一般では、

ある分野に関して高みを目指し、極限まで技を洗練させた人などのことを指す言葉ではないかと思います。

では、

誰がそうであるかという基準などは非常に曖昧です。

自分で言うのも変な感じがするし、言われている人がいても本人に自覚があるか否かというとそれも人それぞれであるかと思うところです。

それではなぜ、こんなことを話すのか。

それは、

僕が昔から達人になりたかったからです。

そんな欲が強かったものの、よくよく考えてみると達人とは?という問いを深く考えていなかったなと今なら思います。

以前は競技者として、道を進みながらもその先にはいずれ達人に到達するという目標がありました。

しかし、

その道は進めば進むほどよく分からなくなり、次第に道はないのだなと諦めかけていました。

そんな時に

転機が訪れました。

生まれて初めて、

自分の想い描く達人が実在したことを知ることが出来たのです。

これはただただ幸運でした。

ここで出会うことがなければ、あと数年もしていれば達人はいないものだとタカをくくっていたかも知れません。

ただその実在した達人と思う方は、自身のことをまだまだ発展途上だと言って笑っていました。

その時に強烈に思ったことがあります。それは今の自分を形成している要素の一つになっていることでもあります。

それは、

【達人とは、死ぬ迄進み続ける人】なのだなと理解したことです。

スポーツ選手には達人という言葉はあまり使わないと思います。

どれだけ功績のある素晴らしい選手だとしても。

なにが違うのか?

それは何故かと自問自答したとき、スポーツには引退があります。

そこから先は一歩引いた感が達人とは呼ばない一つの要因ではないかと思いました。

どっちが良い悪いの話ではなく、自分の目指すものは歳をどれだけ重ねても向上していくもの。

それを追い求める心と身体があること。

そのこと自体が楽しければ、一生進み続けることが出来る。

若いうちにしか出来ないというのは、ただの自分で掛けたブロックではないかと今となっては思います。

完全に私見ではありますが今の自分にとっての達人とは、

【死ぬ迄進み続ける人】

と、定義しています。

なので、

理想を体現するためには、ただただ進み続けば良いだけ。

その道は考えただけで笑みが溢れます。

そんな大人がいてもいいのではないか。

本気でそう思います。

この考え方であれば、誰でも達人になり得ます。

なぜなら進み続ければいいのだから。

そんな仲間がこれからも増えていけば嬉しいです^_^