武術、健康、商売が僕を僕たらしめる3本の柱なのですが、これらが支える先のイメージがつい先日ふと具現化されてきました。このことについて書きたいと思います。
宗教は嫌い。
これが僕でしたが、
小学生の頃から仏陀、キリスト、マホメド等々そんな人の伝記をこなよく読書する子供でもありました。
多神教、一神教、無神教?
何が正しく
何が間違っているなど全く興味がなく
考え方やその影響力、
繋がりに争い。
もしそんな存在があるとして、聞けば聞くほど人間臭いものだなという感想でした。
もしくは力がある分、
間違えた時のお仕置きが中々に酷い(笑)
ただそれを強制されたり、そういうものだと押し付けられたり、そのあたりに意味を見出すことがどうしても出来ませんでした。
宗教として信じていた先が、神様からお金に変わったという考え方もあるそうです。
それくらい人の意識は変化するものだとも言えます。
ただ最近
身体を芯から整え、エネルギーを循環されせばさせるほど言葉では表しづらい感覚が増えてきました。
そしてそれは、
摩訶不思議なものでもなんでもなく、混然とそこに在るものとして認識出来るようになってきました。
心地良い、悪い
通る、滞る
繋がる、分裂する
例えばそんな言葉で表せること。
科学に傾倒し過ぎると、
それは証明出来るのか。
エビデンスはあるのか。等々
スピチュアルに傾倒し過ぎると、
見えることが当たり前。
身体の状態は二の次。等々
何を信じるのか。
正義と悪の基準とは。
僕の感覚としては
それらは自身の中に全て備わっているものという感覚があります。
誰にでも、です。
ただ身体に芯が通っていないと、身体が整っていないとその感覚が鈍るというイメージです。
だから礼式や儀礼、お経やしきたりがあるのではと想った途端、全てが腑に落ちました。
全てはバランス。
それが見える者としては、
みんなの心身が整い、誰も見えるように感じれるようにする会を創ろうと思いました。
それがカミノト。
まずは日本の神社やお寺を周りたいですね。
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