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見えないものを観る

人は知識や経験を積むことによって、以前には見えなかったものが見えるようになることがあります。

例えば、

野球のボールを初めて受け取ろうとするときボールの軌道や速さや重さなどは何もわからずほぼ何も見えない状態から始まると思います。

小さい頃のキャッチボールでは、まともに受けることが出来ずにキャッチボールそのものを続けることが随分大変だなぁと思っていました。

それがいつも間にか取れるようになり、話しながら、それこそ軽くよそ見しながらでも取れるようになったりします。

変化球も同じく、最初は見えないもののいずれは感覚的に見えるようになってきたりします。

この見えないものが見えるということは、確かにおいても同じです。

国同士の戦争が起きるとします。

自国でなければまずなんでそんなことになっているかが分からない。

しかし、歴史や背景、そして政治などを学び知識を蓄えるとなぜそのような争いが起きたかがある程度見えるようになる。

これからはとても重要なことだと考えます。

よく分からない、知らない。

という状態は恐怖の対象になるからです。

近年のコロナも最初はどれほど恐ろしいものか今とは全然違うイメージから入ってきたと記憶しています。

それから数値や状況を見ることで冷静に判断が出来るようになってきました。

総合的に考えるのであれば、常に人生を豊かに生きるためには学ぶことをやめてはならないと切に思います。

死ぬ迄学び続ける。

それは楽しいことでもあり、心の豊かさの根源になると思うからです。

見えないものを観えるようにする。

それは学び続けること。

そうすることで見えない恐怖を和らげ、冷静に物事を見、行動する勇気を出すことが出来やすくなるでしょう。