「わたしなんて、まだまだです」
「前に出るのは苦手なんです」
そう言いながら、控えめに振る舞う人を多く見かけます。
たしかに、日本人にとって謙虚であることは美徳です。
わたし自身、武術の稽古や日本の所作から、その価値を深く学んできました。
けれど、そこには見落とされがちな“境界”があります。
それが、「謙虚」と「消極的」は違う、ということです。
謙虚とは、己の位置や実力を冷静に把握したうえで、周囲や相手を敬い、自分を律すること。
そこには、自分という存在への確かな信頼と、相手を活かす余白があります。
一方、消極的とは、自分の可能性を狭め、必要以上に後ろに引いてしまう状態。
その背景には、自分を信じきれない不安や、「間違ってはいけない」という過剰な防御があります。
姿勢にも、これらの違いははっきりと表れます。
謙虚な姿勢は、芯が通りながらも柔らかく、相手を受け止める余裕があります。
しかし、消極的な姿勢は、重心が後ろに逃げ、呼吸が浅くなり、声も届きにくくなります。
わたしは「立つ」ことを通して、
この差を何度も目の当たりにしてきました。
たとえば、謙虚な人は、立つことをやめません。
目立つ必要はないけれど、自分が在るべき場所に、静かに立ち続けます。
そこには、他者への敬意と、自分への責任があります。
でも、消極的になってしまうと、
立つことそのものを放棄してしまう。
「どうせ無理だ」と、可能性の芽を自分で摘んでしまう。
だからこそ、わたしは伝えたいのです。
本当の謙虚さとは、「立たないこと」ではありません。
むしろ、自分が立つことで、誰かの背中をそっと支えられるような、
そんな“静かな力”こそが、謙虚な姿勢の本質だと思うのです。
あなたは、今日どこに立っていますか。
そして、誰の前でその姿勢を見せていますか。
立芯《旅する姿勢家》
わたしの公式LINEでは、心と身体の姿勢を整えながら、
「自分らしく立つ」ための小さなヒントをお届けしています。
謙虚さの中に、確かな芯を持ちたいと願うあなたへ。ぜひご登録ください。
