人生論

オリンピック誤審問題について

ネット情報だけでも、あらゆる競技の誤審が問題になっているみたいですね。

直接は観ていないのでその是非については分かりませんが、人の手で審判をする以上間違いは必ず起こるものだと考えます。

さらに言えば、贔屓やホームタウンディシジョンなどは当たり前に起こりうるものでしょう。

神様の目のような公正なものならともかく、1人の人間が行うものです。

法を司る裁判官でも人の意思は当然入ると考えます。

入らない方がむしろ不自然。

独立型のAIや機械ならどうかとも思いますが、それを作るのが人ならばそれも危ういかも知れませんね。

話を誤審問題に戻します。

僕としては人の裁定によってその勝ち負けを決められることがとても窮屈に感じます。

なのでおそらくは審判がいるようなものは行わないと思います。

自分自身を高めることに価値を見出しているので、それを他人の評価で良し悪しをつけられたくないからです。

審判は神様という言葉があるとおり、その競技上では絶対的なものです。

そのような権限がなければそもそも審判なるものが上手く機能する訳がありません。

その上で人として間違うことも起こりうる競技の審判については、誤審などはそりゃ当たり前にあり得るという思いが結論です。

誰がやっても同じことでしょう。

それによって人生が変わると考えるのならば、その依存度は危険な匂いがしてきます。

その判定、その配点によってしか自身の価値を見出せないとしたら。

自身の幸福は人の手に委ねられているとも言えるでしょう。

僕としては、自身の評価は自身のみで完結しています。

どう見られているかなどは些細なことで、それもま弛まなく変化していくだけです。

真実は一つ。

自身の中に答えがあればそれで良いと思います。

立芯《旅する姿勢家》

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