人生論

『立つ』ことは宗教のようなもの

ある人に、こんなことを言っていました。

「毎日継続する事があるなら、それはもう宗教みたいなものですね」と。

その言葉に心の底から静かにうなずきました。

たしかに、そうかもしれません。

『立つ』という行為を、日々欠かさずに積み重ねること。

そこには、理屈を超えた“信じる”という姿勢が必要です。

何のために立つのか。

どうして続けるのか。

その問いに、明確な答えが見えない日もあります。

けれど、それでも立ち続ける。

身体の声に耳を澄まし、今日の自分の立ち方を感じる。

その繰り返しの中で、わたしは自分という存在の根を育ててきたように思います。

宗教という言葉には、さまざまなイメージがあります。

ただ、ここで言いたいのは、

「日々の中で、変わらずに立ち返るものを持つ」という意味での“宗教性”です。

忙しさに流されそうな日も、

心が揺れた日も、

何もかもうまくいかないと感じる日も、

立つことに戻れば、わたしはまた自分を取り戻せる。

それは、どんな教えよりも静かで、どんな祈りよりも確かな行為です。

誰かに強制されることなく、ただ、自分で選び続けている。

それが、わたしにとっての『立つ』という道です。

そうした「自分に戻る習慣」はあるでしょうか。

もしまだ見つかっていなければ、立つことを試してみてください。

そこには、言葉では説明しきれない静けさと、確かさがあります。

立芯《旅する姿勢家》

 

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立つことが、あなたの静かな信仰となっていきますように。