熟練の職人さんになるには、1日や2日ではなれません。長い年月を経てその域に達することが出来るということは誰でも容易に想像つくと思います。しかし、その年月を過ごせば誰でもそうなれるのかというとそうではないことが現実です。では同じ時間を過ごすものの、その違いはどの様にして生まれるのか?を書きたいと思います。
結論としては、
正しいことを数こなし、発展させながら長い時間を掛けると素晴らしい職人さんが生まれます。
この正しいことというものが、この中では1番必要であり、1番難しいのではないかと考えます。
なぜならば、本当に正しいことを知っている人が世の中にどれくらいいるものなのか。
それがあまりにも曖昧であるが故に、教えてもらう人によって教わる側の人生が大きく変わる。
そのぐらい大切なものだと思います。
これはどの分野でも等しく問題が起きていて、特に継承しなければならない分野では死活問題ではないかと思っています。
平等とか公平とかそういうところに切り込もうとは思っていません。
ただ、教える側の人にも歴史があり人生があることは十分知ったその上で、それが本当に正しいモノなのかを検証実験を繰り返す必要があると考えます。
特に身体のこと指導する立場の人こそこれは顕著に思います。
身体を壊すということに繋がる可能性が高いと考えるからです。
モノに成るには時間が掛かります。
ただそれを免罪符として、
長い時間掛かるものだとよく分からないものを指導したり、身体を壊したりしている現実を直視しないでこの指導法は正しいとしている人を見ると悲しく思います。
だから
身体のことを伝えることを生業とすることを決めました。
いないのであれば、作れば良い。
問題解決を自身ですれば良いということに近年やっと気付きました。
1人でも多く、健康資産を増やす。
このことに残りの時間を費やしたいと思います。