人生論

偏見のコレクションを『常識』という

偏見とは、ある人やグループに対する先入観や偏った考え方を指します。

これは一般的に事実や理性に基づくものではなく、個人の経験や文化、社会的背景によって形成されます。

要は絶対的なものではないという事です。

にも関わらず小さい社会ではそれが絶対的だというような風潮で強制されやすいものでもあります。

例えば家族間、友人間。

学校、会社、地域、国などなど

あげていけばキリがありません。

元々の生命体としてはまるで関係のない事が多く、利害や既得権益、あとはただの慣例などの場合もあります。

そういったものでマウントをとってくる事。

その常套手段が『常識』という言葉かなと考えます。

自身がそう思うことは自由です。

ですが、それをあたかも当たり前のように押し付けてくる輩には強くNoと言ってきました。

それにはなんの意味があるのか?

何事もそこから始めてみると、無駄な事や必要な事が見えてきます。

偏見は思考の固まりだと考え、水のように風のように流れ形を変えていくものとイメージすると気が楽になります。

自分自身の法律を作り、それを守って生きていく。

それも偏らない方が身軽に生きていけます。

偏見というコレクションを集める人生にするか、自身に自由な人生にするか。

僕なら自由を謳歌したいと思います。

その為には、何が快で何が不快かを身体で知ること。

姿勢から見つめると誰にでも分かりやすくメリットだらけですよ。

立芯《旅する姿勢家》

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