何をするにしても報われる人と報われない人の違いという話を聞いて、本質的にこうやって生きてきたなと思う部分があったので書きたいと思います。
失敗は必ずするもの。
散々そう思って生きてきました。
むしろ子供の頃から初めて行うことは失敗から始まるもの。例え成功したとしても、運が良かっただけとしか思いませんでした。
なので何かを始めるハードルは途轍もなく低いものでした。
とりあえずやってみる。
失敗する。
それを改善する。その作業を楽しいと思うなら継続する。
そんな感覚でした。
これは社会人になっても同じでしたが、周りは少し違う感覚で驚きました。
小さなミスをすると、これでもかと鬼の首を取ったかの様に怒る人がいました。
そう言われたからと言って特にどうということはありませんでしたが、今思えば失敗が許されない世界の人だったのだろうなと思います。
ただ一つ思うことは、一つのミスも許されない世界であるとプレッシャーの連続です。
ミスをしない様に神経を尖らして、ミスをしないこと自体にフォーカスしてしまいがちです。
命のやり取りなら間違いは許されません。死ぬからです。
しかし、それ以外は些細なことです。
ミスをしたら全てが終わり、ミスをしなくてもしない様に繊細に生きていかなければなりません。
その様な生き方は僕は無理でした(笑)
自身も他人も失敗から始まるもの。
そして少しずつ成長して、より良い世界を築いていく。
そんな世界観が好きです。
寛容な世界ともマッチするでしょう。
失敗するから学び、次に繋げるスタートを切る事が出来ます。
むしろ失敗をしなさ過ぎる方が怖くなる感覚があります。
リスクの許容範囲内で最速で失敗を繰り返す。そして最速で立ち上がり積み上げていく。
盤石な地盤の造り方はこうであると考えます。
失敗してナンボ。
関西出身者として、この考え方はとても理にかなっていると思います。